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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

豊臣政権と折衝を重ねるに際して鷹を献上しており、なかでも天正十七年(一五八九)十二月二十四日と推定される、南部右京亮,南部右京亮は為信を指し、豊臣秀吉は遠方からの鷹献上であるから、道中で鷹を損じることがあってもそれは不問,に付すと述べており、同政権に対する南部右京亮の恒常的な鷹献上がこの後もなされるであろうことを示唆している,次いで天正十八年正月二十八日の南部右京亮に宛てた、織田信雄(おだのぶかつ)の花押を据(す)えた書状(資料近世,天正十八年四月十日の豊臣秀次の花押を据えた判物(資料近世1No.一〇)は、南部右京亮の鷹献上に対する謝辞
通史編2(近世1) (津軽家の自己認識確立への試み)

天正十七年(一五八九)十二月二十四日付の豊臣秀吉朱印状(資料近世1No.三)の宛先では為信を「南部右京亮,そのような事例にのっとれば、為信のことを「南部右京亮」と記した秀吉の朱印状は、幕府から公式に南部家と無縁,にも波及する問題となる可能性があった(後述する近衛家に津軽信政が差し出した「津軽古文書」にも、為信を「南部右京亮
通史編1(古代・中世) (三戸南部氏による領国支配の強化)

所載の「津軽屋形様先祖次第」(写真190)には、津軽家の先祖は初代が金沢右京亮(うきょうのすけ)、二代南部右京亮,また『御系譜 古代伝説載』には、初代金沢右京亮は家光(いえみつ)といい、二代南部右京亮については家信(,ただ、のちに豊臣秀吉をはじめ、豊臣秀次、織田信雄(おだのぶかつ)といった豊臣政権の有力者が、「南部右京亮
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

南部家中」の者とは九戸政実を中心とする一揆勢であることはいうまでもないが、この朱印状の宛所がそれ以前の「南部右京亮
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

』145頁 三省堂刊 4 宮内省式部職編『放鷹』453頁 昭和6年 吉川弘文館刊 5 織田信雄判物 南部右京亮宛
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●天正十七年(一五八九)十二月二十四日、豊臣秀吉、朱印状を下し、南部右京亮為信の鷹献上を感謝する。,●天正十八年(一五九〇)正月二十八日、織田信雄、南部右京亮為信へ判物を下し、黄鷹の受領と豹皮進覧を伝える,●天正十八年(一五九〇)四月十一日、豊臣秀次、南部右京亮為信へ判物を下し、角鷹の献上を賞する。,●天正十八年(一五九〇)十二月二十九日、前田利家の家臣河島重続、津軽仕置の終了と、南部右京亮為信並びに
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