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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(古代・中世編)
((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)
右の記録は津軽側のものだが、
南部高信
の津軽平定と石川居城は、南部側の記録でも元亀三年(一五七二)の事件,領国支配の未熟さを克服し、津軽・鹿角地方に対する支配の強化を目的に、この地に送り込まれたのが「石川殿」
南部高信
,一気に陥落させ、
南部高信
を自害させて、独立への第一歩を踏み出した(『永禄日記』『封内事実秘苑』『津軽一統志,これらの城館も単独ではなく、
南部高信
時代の三戸との「繋(つな)ぎの城」、あるいは板垣兵部時代の石川城防衛
通史編1(古代・中世)
(本城(根城)の城館跡)
三戸南部安信が、藤崎城主安東教季・大光寺城主葛西頼清を討って津軽を平定した後、津軽地方を支配する拠点として
南部高信
資料編1(古代・中世編)
(五 縄張りからの問題点)
第二に、
南部高信
時代の石川城の中心部、すなわち南部氏の津軽支配の政庁はどこかであるが、城郭の縄張りから
資料編1(古代・中世編)
((2) 戦国時代の堀越城)
元亀二年(一五七一)、為信は巧みに
南部高信
を偽り、堀越にある「町飛鳥の屋敷」(「堀越の旧城」ともある)
資料編1(古代・中世編)
((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)
これに対し堀越は、津軽の西根と東根の接点にあり、かつての
南部高信
の本拠石川城にも近く、津軽の政治的中心
通史編2(近世1)
(三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)
が内部で動揺していた元亀二年(一五七一)五月、為信は三戸南部氏に反旗を翻し、石川城を奇襲して津軽郡代
南部高信
通史編1(古代・中世)
(合戦の方法)
合戦(史料八九九・九〇〇)、元亀二年(一五七一)五月五日夜に、大浦為信が五〇〇騎ほどの軍勢で、石川城の
南部高信
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
の目下の同盟者〟にとどまり、天文二年(一五三三)、津軽平定作戦の上、「津軽郡代」として石川城に入った
南部高信
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
する史料は文明二年(一四七〇)(史料八四七)のものや『新撰陸奥国誌』などによると、天文二年(一五三三)
南部高信
資料編1(古代・中世編)
(一 はじめに)
降って天文二年(一五三三)、三戸の南部氏は市内石川に石川城(石川大仏ケ鼻城)を営み、一族の重鎮
南部高信
通史編1(古代・中世)
(南部晴政の登場と一族間の対立)
その原因は当主晴政と石川城主
南部高信
の長男で田子(たっこ)城主である信直(のぶなお)(一五四六~一五九九
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
鼻城)は、南北朝時代初期、北条氏与党勢力が建武政府に対する反乱を起こした時の拠点となり、戦国時代には
南部高信
通史編1(古代・中世)
(三戸南部氏による領国支配の強化)
写真192 『聞老遺事』津軽の弓矢 反乱鎮圧後、
南部高信
は津軽郡代となり、要衝石川の地(市内石川
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●元亀二年(一五七一)五月、大浦為信、石川城に
南部高信
を攻め、これを滅ぼすという。,●元亀三年(一五七二)、南部側史料、この年、
南部高信
が津軽三郡を平定すると伝う(天文二年の事件を誤り伝
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
中心として) この地区には、現在「梵応塚」と呼ばれる削平された場所があり、墓地となっていて、
南部高信
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 南部家文書 310 ●元亀二年(一五七一)五月、大浦為信、石川城に
南部高信
を攻め,………………………… 南部家文書 314 ●元亀三年(一五七二)、南部側史料、この年、
南部高信
が津軽三郡
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