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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編3(近世編2) (●厳鬼山神社 本殿 十腰内字猿沢--県重宝)

厨子は、軒から上は新しいのであるが、基本的にはかなり古そうなものであり、部分的に極彩色の痕跡も認められた,本殿および厨子ともに、構造形式や細部の様式などは、この時代の特徴をよく表している優れた建造物である。
通史編3(近世2) (下居宮)

岩木山を神体として祀ることは古くから行われてきており、安寿と厨子王、田光沼(たっぴぬま)の竜女、赤倉の,によれば、大堂(拝殿)の本尊阿弥陀如来と脇立の十一面観音・薬師如来は信政、本尊を納める「御宮殿」と呼ばれる厨子,神仏分離で百沢寺は廃寺となり、本尊と厨子、棟札は長勝寺、山頂の聖観音は専称院(現南津軽郡大鰐町)へ移された
通史編3(近世2) (西光寺)

慶長十四年(一六〇九)、為信が鷹狩りの途中、浪岡にあった草庵で休息し、貧寺を哀れんで厨子入りの三尊仏と
資料編3(近世編2) (●隣松寺 久祥院殿位牌堂 西茂森二丁目--県重宝)

台座の上に置かれた建築型一間厨子の形を取っており、宝形造木瓦葺の屋根の正面に軒唐破風を付けて、屋根の頂上
資料編3(近世編2) (●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)

現在の拝殿は、内外陣境の結界、内陣の来迎壁、それに須弥壇や厨子が撤去されて開放的に使用されているが、これは,岩木山神社拝殿立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載) (三)三尊仏厨子堂, 明治初期に長勝寺境内の蒼龍窟に移されたものであるが、岩木山百澤寺大堂の内陣に置かれていた建築型厨子,大型の一間厨子であり、入母屋造の木瓦葺である。
資料編3(近世編2) (●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定文化財)

●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定文化財 内外陣に分かれた五間堂であり、内陣に厨子が納められていたが
通史編3(近世2) (江戸時代前期の建築)

けられて来迎壁(らいごうかべ)が取り付き、須弥壇(しゅみだん)が設けられ、現在は長勝寺に祀られている厨子,建立当時は、中世的な雰囲気をもつ密教本堂であったが、厨子などが取り除かれて、現在はかなり開放的な空間を,建築型の一間厨子、入母屋造の木瓦(こがわら)葺である。
通史編3(近世2) (観音信仰)

為信は持仏の厨子入りの観音像を陣中に携えたという。  
通史編3(近世2) ((一)寺社の開帳)

(一)寺社の開帳 開帳とは、寺社が厨子に入れて秘蔵する神仏や霊宝を公開して、人々に拝観させることで、
通史編3(近世2) (最勝院)

阿弥陀仏、信重寄進の勢至・観音の木像三体が安置され、信義寄進の閻浮檀金(えんぶだんごん)弥陀尊は三重の厨子
資料編3(近世編2) (●長勝寺 西茂森一丁目)

内部の厨子と須弥壇は、かつては国の重要美術品として指定されていたものであるが、現在は建造物の「附」として,一間の建築型厨子で、入母屋造木瓦葺の屋根を載せており、二軒繁垂木を禅宗様三手先詰組で受けている。
通史編3(近世2) (江戸時代末期の建築)

内・外陣に分けられて厨子もあった。
通史編3(近世2) (江戸時代中期の建築)

ここの拳鼻(こぶしばな)付き平三斗(ひらみつと)や、内部の厨子にみられる台輪から頭貫鼻(かしらぬきはな,きゅうしょういんでん)の位牌堂(いはいどう)(隣松寺(りんしょうじ))は、建築ではないが、建築型の一間厨子
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