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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
((一)参勤交代)
(一)
参勤交代
江戸幕府の中央集権的全国支配は、寛永十二年(一六三五)の
参勤交代
制の実施によって確定,
参勤交代
とは、諸大名が一定の時期、江戸に伺候し、または本国に就封(しゅうほう)することで、前者を参勤、,後者を交代といったが、この
参勤交代
制こそは幕藩制的政治支配の一大支柱でもあった。 / (一)
参勤交代
通史編2(近世1)
(参勤交代路と街道の状況)
参勤交代
路と街道の状況 津軽弘前藩では当初西浜街道を
参勤交代
路として使用していた。,松前藩主も同時期には西浜街道を
参勤交代
路として利用しているのである。,しかし、四代藩主信政は寛文五年(一六六五)、碇ヶ関から矢立峠を越えて秋田領へ入る羽州街道を
参勤交代
路に /
参勤交代
路と街道の状況
通史編3(近世2)
(時期・日数・通路)
時期・日数・通路 津軽弘前藩の
参勤交代
の時期は弘前城を出発するのが三月に多く、文化四年(一八〇七)以降,する道筋(羽州街道(うしゅうかいどう))は、四代信政が寛文五年に帰国するときに利用しており、このときが
参勤交代
,図106.津軽弘前藩の
参勤交代
通路 江戸~弘前間の羽州街道の宿駅を示すと図107のようになる(,図107.羽州街道(小坂通江戸道中)の
参勤交代
通路
通史編3(近世2)
(藩主の行列)
参勤交代
のみならず、そのほか領内の寺社参詣や視察などによる藩主の行列へ農民が出会った場合には、次のような
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
きな課役負担をした大名に対し、幕府が通常の参勤時期を遅らせて、大名への負担を軽減していた(千葉一大「
参勤交代
制,ないで済むものも多く、病気等を理由として名代を出す大名もあった(東京都江戸東京博物館・東京新聞編集『
参勤交代
,三六)にかけて徐々に整備されていったが、整備途上の段階においては、幕府の番方の人々が動員される一方で、
参勤交代
,の成立と展開」『江戸町人の研究』五 一九七八年 吉川弘文館刊、針谷武志「軍都としての江戸とその終焉―
参勤交代
制
通史編2(近世1)
(御用金の賦課)
飢饉後のことであるが、天明六年(一七八六)には、藩からの廻米が入らなかったとして、江戸の蔵元津軽屋が
参勤交代
,
参勤交代
は、寛政期で片道一五〇〇両を要した。
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
①は当時の
参勤交代
路である西浜街道(鰺ヶ沢街道)と、羽州街道の弘前~油川間と、奥州街道の油川~狩場沢間,を合わせたものであり、②は後に
参勤交代
路となる羽州街道の弘前~大鰐~碇ヶ関間を指している。
通史編2(近世1)
(黒石津軽家の大名昇格)
このあと、津軽親足(つがるちかたり)は、七月十四日に
参勤交代
を許され、十二月十六日には叙爵に与り、従五位下
通史編2(近世1)
(幕末期の藩財政)
あとは
参勤交代
にかかる経費、武器庫の維持・武器新造の経費などもみられる。
通史編2(近世1)
(初代為信の動向)
これは、江戸時代の
参勤交代
に匹敵するものといえる。,この二月上洛は、最後の上洛となった慶長十二年まで続いており、半ば
参勤交代
化したものと考えてよいであろう,同前No.一九四)に、「津軽惣領主」とあることをもって、信建を二代藩主とみる考え方もあるが、当時為信が
参勤交代
通史編2(近世1)
(高照神社「御告書付」の開始)
(3)
参勤交代
と蝦夷地警備の組み合わせが多い。,巡見使関係 0 0(0%) 高照神社 高照神社関係 4 4(1%) 藩主家 藩主家の吉凶禍福等
参勤交代
通史編2(近世1)
(天明六年以降の飢饉)
翌八年八月に弘前藩主が
参勤交代
の帰路、秋田領を通過した際に、数百人の飢民が駕籠先に出て救済を求めたので
通史編3(近世2)
(館神)
また、信寧とその後の藩主も
参勤交代
の前後に参詣しており、道中の安全を祈ったことがわかる。
通史編2(近世1)
(相馬大作事件)
、寧親に果たし状を送って辞官隠居を勧め、それが聞き入れられないときには江戸城に登城する前か、もしくは
参勤交代
通史編3(近世2)
((三)住居)
(三)住居 藩主の住居は在国の際は弘前城本丸御殿(藩庁および生活の場)であり、
参勤交代
により在府の場合
通史編3(近世2)
(礼服)
上級藩士に限られるが、元旦の年賀では熨斗目長袴~熨斗目半袴の着用がみられ、藩主在国の年より不在(在府―
参勤交代
通史編2(近世1)
(町役)
なお、地謡や小鼓打・能役者は、藩主が国元に滞在する時は御用として町役を免除されたが、
参勤交代
で藩主が江戸
通史編2(近世1)
(慶安二年の「弘前古御絵図」)
地名を冠する屋号が少ないにもかかわらず、関東地方、なかでも、江戸を屋号としている町人が比較的多いのは、
参勤交代
制
通史編2(近世1)
(正徳から天明にかけての大名課役)
大名の場合、
参勤交代
で江戸にいる間門番を命じられるので、変更は原則的に四月・六月・八月の時期に集中する
通史編2(近世1)
(宝暦~天明期の弘前藩の財政状況)
そもそも金銀方は、収支とも国元の費目に限った数値で計上されており、膨大な廻米の売却費、江戸藩邸費・
参勤交代
費
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
朝鮮使日光社参に付鞍置馬用立御奉書 弘前市立図書館蔵津軽家文書 50 弘前市立図書館蔵八木橋文庫 51 『
参勤交代
,1987年 河出書房新社刊 表4 作成 表5 『山形県史』第2巻 61頁 昭和60年 山形県刊 表6 『
参勤交代
通史編3(近世2)
(一〇代信順の治世)
特に夜の素行が悪く、毎夜深酒のため朝の起床が遅くなり、
参勤交代
の際には宿に到着するのが深夜になって、そのつど
通史編3(近世2)
(新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)
…… 381 四 藩士の日常生活 ………………………………………… 401 五
参勤交代
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
信明は天明四年(一七八四)二月に二十三歳で襲封(しゅうほう)し、同年八月二十日に初入国して以来、
参勤交代
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