• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 8件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編3(近世2) (恩を仇で返し殺害・盗み)

その後彼女は入牢となって取り調べを受け、取上の御仕置場で御馬廻の原子次左衛門から獄門を申し渡された(同前天明六年閏十月二十六日条,図9.獄門首の様子  津軽領では取上の御仕置場に設置された獄門台は、「大釘一本と科人(とがにん),獄門台にさらす期間は幕府と同様に三日二夜であるが、その番人は取上の御仕置場には、右の享保六年(一七二一
通史編2(近世1) (刑の執行)

刑の執行場所は村端・町端・牢屋の前の御用場(牢屋敷の表門を入って右側にあった)・取上の御仕置場である。,いわゆる刑場は弘前城下の東端に位置する取上の御仕置場の一ヵ所だけであった。  ,かくせんちょう))~本町(ほんちょう)通~五丁目(現本町)~親方町(おやかたまち)~土手町~富田町~取上,の御仕置場となっている(同前安永六年九月二十六日条)。
通史編3(近世2) (猿賀神社より盗み)

これは徒(ず)刑(懲役刑)のことで、徒刑は「寛政律」の規定では、取上の御仕置場で鞭刑の執行後に、尾太(
通史編2(近世1) (僧侶・神官対象の司法制度)

これに対し俗人は、正犯・従犯にかかわらず徒目付が取上の御仕置場や町端・村端で、あるいは評定所で申し渡すなどであった
通史編3(近世2) (強訴)

民次郎は弘前城下を馬に乗せられて引き廻しのあと、取上の御仕置場に到着し、岩川久太郎検使のもと、斬罪となった
通史編2(近世1) (刑罰体系)

取上の御仕置場で敲(鞭刑)が執行されてから鉱山(尾太(おっぷ)鉱山・湯野沢(ゆのさわ)鉱山)へ流され、,取上の御仕置場や出身地の村端で獄門にかけたり、塩漬けの後に磔にする。,火罪は頭巾(ずきん)をかぶせて生きているような姿につくり、持籠(もっこ)に乗せて弘前城下を引き廻し、取上,の御仕置場で執行する。
通史編3(近世2) (放火)

喜助は弘前城下を引き廻され(第四章第三節五(一)参照)、取上の御仕置場で刑を執行された。  
通史編3(近世2) (高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入)

右の件について、「国日記」十二月七日条によれば、塩詰めにした死骸は冬至中にもかかわらず、取上の御仕置場
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました