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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) (1.古墳時代の概観)

1.古墳時代の概観 近年の考古学研究において、4世紀から6世紀までの古墳時代併行期には、東北地方に二,東北地方においては、古墳時代前期(4世紀)に属する福島県会津大塚山古墳や宮城県遠見塚古墳をはじめとして,この中には、雷神山古墳(168m)・遠見塚古墳(110m)・亀ヶ森古墳(127m)・会津大塚山古墳(114m,)など、全長100mを超す大型古墳と、20~30mの小型古墳がある。,これに呼応する形で、青森県においても阿光坊古墳群や、鹿島沢古墳群などの終末期古墳と呼ばれる小墳墓がこの / 1.古墳時代の概観
通史編1(古代・中世) (東北地方の古墳文化)

東北地方の古墳文化 中央政府を基準とした日本史の時代区分では、弥生時代に続いて、三世紀末ころから古墳時代,現在、東北地方最古の古墳とされているのは、会津坂下町(あいづばんげまち)の杵(きね)ガ森古墳で全長四六,写真18 会津大塚山古墳全景  四世紀中には、福島県域ではこうしたかなりの規模と構造をもった古墳,(鶴岡市)、岩手県南部の角塚(つのづか)古墳(胆沢町・写真19)などが、前述した古墳の濃厚な分布地帯から,写真19 角塚古墳全景  埴輪も有する日本最北の前方後円墳である角塚古墳は、五世紀第3四半期ころの / 東北地方の古墳文化
通史編1(古代・中世) (東北地方の古墳時代)

東北地方の古墳時代 古墳時代とは、一般的には古墳の造営に象徴される時代を指す。,近年の考古学的研究の成果によると、古墳の築造は三世紀中葉過ぎないし後半から七世紀後半に及ぶとされ、大和地方,大和政権による政治的色彩が濃く反映されていった古墳が各地の共同体の支配者層によって築造されていたころ、,写真1 遠見塚古墳  古墳を指標として概観した東北地方のこの時代のなかで、東北地方北部では三世紀末,図1 4世紀代の土器  古墳時代中期になると、古墳の分布密度と範囲はさらに濃く広がり、それとともに / 東北地方の古墳時代
通史編1(古代・中世) (青森県の古墳文化)

青森県の古墳文化 青森県で古墳文化の影響が明確になるのは、この古墳時代中期に入ってからで、年代的には,つまり、続縄文文化の伝統をもった墓坑に、古墳文化の影響を受けた遺物を主体とし、北方からの遺物も副葬されていたわけである,三沢市広沢牧橋(ひろさわまきはし)遺跡、野辺地町有戸(ありと)遺跡、八戸市田向冷水遺跡で出土しており、古墳文化,古墳時代後期には、横穴式石室の採用や横穴墓の出現という古墳埋葬施設の変化が生じる。,前方後円墳は七世紀前半には消滅し、それまでの個人を対象とした埋葬から複数の埋葬を意図した横穴墓の採用へと古墳 / 青森県の古墳文化
資料編1(考古編) ((3)葬制(終末期古墳))

これらの墳墓は、その構造的な面から古墳時代の古墳の影響を受けたものとして、「終末期古墳」あるいは「末期古墳,青森県においてもこれまで、県南地方では鹿島沢古墳群(八戸市、丹後平古墳群(八戸市)、殿見古墳群(八戸市,)、阿光坊古墳群(下田町)、平畑遺跡(三沢市)などが、一方津軽地方においては原古墳群(尾上町)が知られている,・高橋潤によって行われ、12基の古墳が確認されている。,図117 原古墳群古墳配置図 図118 原古墳群の構造 図119 原古墳群出土遺物 / (3)葬制(終末期古墳)
通史編1(古代・中世) (古墳文化と続縄文文化の交流)

古墳文化と続縄文文化の交流 石狩低地帯での東北地方弥生時代最終末の天王山系土器と江別C2・D式土器の,共伴例、古墳時代中期の南小泉式土器と北大Ⅰ式土器の共伴例などからも、江別A式~C2式は弥生後期土器と、,江別C2・D式は弥生後期土器~古墳時代前期の塩釜式土器と、さらに北大Ⅰ式は古墳時代中期土器と同時代のものと,つまり、墓坑形態は続縄文文化の色彩が強いが、副葬品は相対的に古墳文化の影響が色濃く認められ、この地における,古墳文化と続縄文文化の間に交流関係があったことを示している。   / 古墳文化と続縄文文化の交流
通史編1(古代・中世) (古墳文化及ばぬ北の世界)

古墳文化及ばぬ北の世界 一方、大和政権の影響度の指標である前方後円墳が及ばなかった地域である青森県をはじめ,古墳時代にほぼ併行する時代になると、北の続縄文文化の世界では、後北(こうほく)式に代わって北大(ほくだい,森ケ沢遺跡から同時に出土した須恵器は典型的な古墳文化の遺物であるし、同じくそこから出土した玉のなかには,ガラス玉や石製平玉があり、これは古墳文化から持ち込んだ装身具である。 / 古墳文化及ばぬ北の世界
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物)

原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物 原エミシ文化の時代には、古墳文化の特徴的祭祀遺物である剣形(つるぎがた,また、天間林村森ケ沢遺跡では、続縄文文化系の墓壙に、古墳文化系の遺物を主体としながらも、続縄文文化系の,この時代の類例は決して多くはないが、全般的には古墳文化系の祭祀遺物が主体といえそうである。,しかしながら、精神的側面まで古墳文化の影響を受けていた可能性は小さく、おそらく家父長クラスの有力者の存在,の例から類推すると、古墳祭祀までそのまま受容したと安易に考えることはできない。
資料編1(考古編) ((2)4世紀後半代~5世紀代)

のものとしては、天間林村森ヶ沢遺跡を中心として、青森市細越館遺跡・十和田湖町三日市遺跡・平内町槻ノ木遺跡などの古墳文化,この時期の北海道系遺物としては、続縄文文化の北大Ⅰ式土器と黒曜石製石器であり、古墳文化の遺物としては土師器,・須恵器・各種玉類・鉄・竪櫛などがあり、相対的には後者が前者を圧倒し、古墳文化の影響が色濃く認められる,を築造した岩手県角塚古墳の被葬者との関係が今後注目される。,中でも、森ヶ沢遺跡では大阪陶邑産、三日市の須恵器は仙台市大蓮寺産であり、畿内政権や仙台平野の古墳造営者
資料編1(考古編) ((9)蕨手刀)

出土状態の明らかなものでは、「蝦夷の族長」の墓とされる終末期古墳群や規模の大きい竪穴住居跡からの出土例,古墳?,(成田券治氏蔵) 4 阿光坊古墳群 耕作中の発見 上北郡下田町 56.1 (欠) 42.8 (欠),13.3 4.5 不明・周辺から多数の遺物出土 古墳 (下田町教委蔵) 5 原古墳群 昭和48年耕作中,この「小封土」は、終末期古墳の出土の可能性も考えられる。
通史編1(自然・原始) (岩木山麓緊急遺跡発掘調査開始~現代)

早稲田貝塚、清水潤三を担当者とする八戸市根城(ねじょう)と沢里(さわさと)にまたがる鹿島沢(かしまさわ)古墳群,鹿島沢古墳群については、当時古墳の北限が、岩手県の北上川上流域にある西根町谷助平・岩手町浮島などの古墳群,とされ(現在は、二戸市堀野古墳群が同県では北限)、青森県における存在は視野の外にあった。,などの鉄製品・耳飾(金環)・ガラス小玉・勾玉等が出土し、礫を敷き詰めた礫槨(れきかく)も見いだされ、古墳,なお本県における古墳は、その後、昭和六十二年(一九八七)に八戸市根城の丹後平(たんごたい)(獅噛式環頭太刀
資料編1(考古編) ((8)馬産と関連遺物)

このほか、馬具が出土した遺跡は、7世紀代の鹿島沢古墳群(八戸市)・阿光坊古墳群(下田町)、8世紀代の丹後平古墳群
資料編1(考古編) ((3)6世紀代)

(3)6世紀代 この時期の遺跡は極めて少なく、古墳文化の土師器を出土する七戸町大沢遺跡や、続縄文文化,石製模造品は、散発的であるが古くから知られており、古墳文化の特徴的な精神文化遺物として注目されていた。
通史編1(古代・中世) (東北地方北部の群集墳)

これらは本来的な古墳ではないという意味合いから末期古墳群と呼ばれている。,さらに、一九九〇年の発掘調査では九基の古墳が確認されており、八戸市丹後平墳墓群や下田町阿光坊墳墓群をしのぐ,の墳墓が造られていることなども考慮すると、さきの被葬者の問題も合わせて、東北地方北部の群集墳を終末期古墳,そして、この群集墳は文献史上律令国家によって「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々の一部が、古墳文化の影響のもとに,では、八戸市根城跡第一一〇号住居跡出土の一括土器群が七世紀前半~中葉の所産と考えられ、東北地方南部の古墳時代後期土器
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化の形成)

古墳時代前・中期併行期の青森県では、続縄文文化をもった北海道系の人々が南下して居住したと考えられているが,、質的には続縄文文化でも古墳文化でもない、両者の要素を合わせ持った独自の混交文化を形成していたといえるであろう,さらに、古墳時代後期から奈良時代併行期には、農耕を生業とする集団によって拠点的に集落が形成された。,考古学的概念として、在地の系譜が希薄になる続縄文・土師器混交文化の時代を「原エミシ文化の時代」と呼び、古墳時代後期
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

一つは、八戸市鹿島沢古墳群の発見であり*37、もう一つは岩木山麓で開始された大規模発掘調査である。,また同時に、南部地方を中心として終末期古墳群の調査が行われている。,八戸市丹後平古墳群*289・殿見古墳群・下田町阿光坊古墳群・三沢市平畑古墳群の調査が平成元年(1989,一方、津軽地方においても葛西励・高橋潤らによって尾上町原古墳群が*323調査され、終末期古墳が全県的に,弥生時代の本県の稲作の痕跡や、古墳文化特有の祭祀遺物である石製模造品の分布などから、東北北部も古墳文化
資料編1(考古編) ((1)7世紀~8世紀)

本県全体では、これまで確認されている該時期の遺跡は約50遺跡に達しており、前代の古墳時代併行期とは大きく,遺跡の内容は、古墳時代併行期においては狩猟・採集を生活の基盤とした移動生活のため、集落としての痕跡が未形成,これらの特徴は、東北北部全域と北海道のほぼ全域に共通するものであり、古墳時代併行期の続縄文(後北式・北大式,また、この時期には北日本特有の終末期古墳と呼ばれる小円墳が築造されている。
資料編1(考古編) (3.石川長者森遺跡)

弥生時代末期(3世紀末~4世紀前半)の遺物散布地、奈良時代末~平安時代(8世紀後半~9世紀前半)の終末期古墳群,〔終末期古墳様遺構群〕 丘陵北側に隣接した標高約50mの地点で、円形周溝がまとまって3基検出されている,これらの古墳群は、7世紀~8世紀前半期においては、周溝に囲まれた内部を長方形に掘り込み埋葬施設を作るものが,このように、東北地方北部から北海道道央部にかけての終末期古墳群の変遷から本遺構群をとらえると、8世紀末,~9世紀前半期の終末期古墳群の可能性が高い。
資料編1(考古編) ((1)7・8世紀)

(1)7・8世紀 青森県内で4世紀から6世紀までの古墳時代併行期には、遺跡は発見されているものの集落跡,この時期の竪穴住居跡は、基本的には縄文時代に起源を持つものであるが、青森県の中では古墳時代の約3世紀間,かまどは古墳時代前期から中期にかけて、朝鮮半島からの影響で作られたもので、農耕文化の象徴とも言える施設
通史編1(自然・原始) (考古学史年表)

ロゼッタ・ストーン] [菅江真澄の墓] [トムセン] [藤原宮] [高松塚古墳
資料編1(考古編) (はじめに)

一般に墳墓と聞くと、古墳のような封土(盛土)を持つものを連想するであろうが、縄文時代にはそのような大規模
資料編1(考古編) (-古代前期Ⅰ期(7世紀代)-)

また、須恵器は末期古墳では一定量見られるが、集落内ではまれに存在する。
通史編1(古代・中世) ([口絵])

17 浄福寺大般若経 18 奥州十三之図 市立函館図書館 19 丹後平古墳群
通史編1(古代・中世) (平安時代の律令祭祀)

弥生・古墳時代に原型をもつとされる木製模造品は、七世紀後半の天武・持統朝における律令的祭祀の最初期に複数,古墳時代から平安時代にかけて使用された土馬の分布も全国的であるが、畿内地方における出土が顕著であるという
資料編1(考古編) (〈2〉津軽地方で生産された須恵器)

古墳時代中期(5世紀中葉~後葉)に、朝鮮から渡来した工人によって製作されたことが『日本書紀』にも記載されている,それ以後古墳時代後期においては、朝廷及び地方豪族の支配の下に各地で生産され、さらに7世紀後半以後10世紀
通史編1(古代・中世) (混血の進展)

混血の進展 古墳時代に、その先進的な文化を摂取するために大和政権が積極的に帰化人(渡来人)を受け入れたことはよく
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

時期的にも弥生時代から古墳時代後期まで併行することが明らかになってきた。  ,の系統を引く細隆起線で特徴づけられる一群の土器を江別式から分離してしまうことには多少の問題が残るが、古墳文化
通史編3(近世2) (津軽における漆工芸の起点)

縄文時代に続く弥生・古墳時代、さらに古代・中世においても木材、樹皮、繊維、皮革、金属など多種類の素地(
通史編1(古代・中世) (国造の分布)

これらの地域には古墳は築造されたものの、大和政権とはまだゆるやかな支配関係を結ぶにとどまっていたのであろう
資料編1(考古編) (5.青森県における弥生時代の終局)

東北北部の土着文化の零落が大きな一因であったと考えられ、(中略)人口激減化の現象が東北北部の弥生末期~古墳時代前半期
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

図114 墨書土器(1) 図115 墨書土器(2) 図116 墨書土器(3)・硯 図117 原古墳群古墳配置図,図118 原古墳群の構造 図119 原古墳群出土遺物 図120 東北地方南部以南から津軽地方に
通史編1(古代・中世) (三十八年戦争の時代)

それまでの律令国家の直接の支配領域は、すでに古墳文化の時代に、程度の差こそあれ、何らかの形で大和政権とかかわりのあった
資料編1(考古編) ((2)縄文時代早期)

弥生時代 前期 砂沢 五所,二枚橋 中期 宇鉄Ⅱ,井沢 田舎館 後期 念仏間 天王山(鳥海山) 古墳時代
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

 187     第1節 古代に関する考古学研究略史 ……………………  188     第2節 古墳時代, ……………………………………………  194         1.古墳時代の概観 ………………………,…………  194         2.古墳時代の遺跡と文化 …………………………  196     ,         (2)文字資料と文字文化 ………………………  356          (3)葬制(終末期古墳
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

について」(東奥文化12) 1958年 *34 音喜多富寿・江坂輝弥 「青森県八戸市大字沢里鹿島沢古墳群踏査予報,「奥尻島青苗貝塚の内耳を有する土器について」(黒曜石9) 1959年 *37 音喜多富寿 「鹿島沢古墳群調査略報,との関連における一考察-」(先史学研究5) 1965年 *52  〃  「東北地方北部における末期古墳,特別展 八戸の古代-むらと人びとのくらし展示目録) 1991年 *289 八戸市教育委員会 『丹後平古墳,304 松本建速 「東北北部の平安時代のなべ」(紀要Ⅵ) 1990年 *305 三浦圭介 「青森県の古墳時代併行期
資料編1(考古編) ((1)東北地方南部以南との交易・交流)

須恵器には坏・高台付坏・大甕・横瓶(べ)があり、一般的な農村集落や終末期古墳群から出土している。
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

青森県八戸市長七谷地貝塚」『日本考古学年報』一一 一九六二年三月 (98)A 音喜多富寿 「八戸市根城鹿島沢古墳群調査略報,」『奥南史苑』四 一九六〇年三月   B 清水潤三 「青森県八戸市根城古墳」『日本考古学年報』一一 ,(102)村越潔 「薬師Ⅱ号遺跡」『岩木山』 一九六六年三月 (103)八戸市教育委員会 『丹後平古墳
資料編1(考古編) ((1)祭祀と仏教文化の波及)

(1)祭祀と仏教文化の波及 青森県内のこれまでの調査では、7世紀後半~10世紀の祭祀遺構は終末期古墳以外
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

古代蝦夷の時代  1 第一節 原エミシおよびエミシ文化の時代 …………………………  2    一  古墳文化北進
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

 此所有二墳墓一、曰レ伝最明寺時頼鎌倉副元帥北條相模守、之妾唐糸ト云者、謫(テキ)二死於此所ニ一、其古墳石碑等存
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