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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(青森県の古墳文化)
青森県の
古墳文化
青森県で
古墳文化
の影響が明確になるのは、この古墳時代中期に入ってからで、年代的には,つまり、続縄文文化の伝統をもった墓坑に、
古墳文化
の影響を受けた遺物を主体とし、北方からの遺物も副葬されていたわけである,三沢市広沢牧橋(ひろさわまきはし)遺跡、野辺地町有戸(ありと)遺跡、八戸市田向冷水遺跡で出土しており、
古墳文化
/ 青森県の
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(古墳文化と続縄文文化の交流)
古墳文化
と続縄文文化の交流 石狩低地帯での東北地方弥生時代最終末の天王山系土器と江別C2・D式土器の,から、北大Ⅰ式土器と黒曜石の小破片という北海道系遺物と、供献具である五世紀後半の土師器・須恵器などの
古墳文化
,つまり、墓坑形態は続縄文文化の色彩が強いが、副葬品は相対的に
古墳文化
の影響が色濃く認められ、この地における,
古墳文化
と続縄文文化の間に交流関係があったことを示している。 ,そして、
古墳文化
と続縄文文化の交流の中心は、東北地方北部から石狩低地帯以南にあったとみてよさそうである /
古墳文化
と続縄文文化の交流
通史編1(古代・中世)
(古墳文化及ばぬ北の世界)
古墳文化
及ばぬ北の世界 一方、大和政権の影響度の指標である前方後円墳が及ばなかった地域である青森県をはじめ,森ケ沢遺跡から同時に出土した須恵器は典型的な
古墳文化
の遺物であるし、同じくそこから出土した玉のなかには,ガラス玉や石製平玉があり、これは
古墳文化
から持ち込んだ装身具である。 /
古墳文化
及ばぬ北の世界
通史編1(古代・中世)
(東北地方の古墳文化)
東北地方の
古墳文化
中央政府を基準とした日本史の時代区分では、弥生時代に続いて、三世紀末ころから古墳時代,この
古墳文化
の新しい波は、四世紀初めには早くも今の福島県域にまで押し寄せてきたことが知られている。 / 東北地方の
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物)
原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物 原エミシ文化の時代には、
古墳文化
の特徴的祭祀遺物である剣形(つるぎがた,また、天間林村森ケ沢遺跡では、続縄文文化系の墓壙に、
古墳文化
系の遺物を主体としながらも、続縄文文化系の,この時代の類例は決して多くはないが、全般的には
古墳文化
系の祭祀遺物が主体といえそうである。,しかしながら、精神的側面まで
古墳文化
の影響を受けていた可能性は小さく、おそらく家父長クラスの有力者の存在,青森県内の群集墳は、
古墳文化
系の副葬品で占められているが、前代の墳墓の副葬品構成を引き継いだ岩崎台地墳墓群
資料編1(考古編)
((2)4世紀後半代~5世紀代)
のものとしては、天間林村森ヶ沢遺跡を中心として、青森市細越館遺跡・十和田湖町三日市遺跡・平内町槻ノ木遺跡などの
古墳文化
,この時期の北海道系遺物としては、続縄文文化の北大Ⅰ式土器と黒曜石製石器であり、
古墳文化
の遺物としては土師器,・須恵器・各種玉類・鉄・竪櫛などがあり、相対的には後者が前者を圧倒し、
古墳文化
の影響が色濃く認められる,このほか、鉄製品・玉類・竪櫛などもあり、副葬された文物の多くは
古墳文化
のもので、この時期の最北の前方後円墳
資料編1(考古編)
((3)6世紀代)
(3)6世紀代 この時期の遺跡は極めて少なく、
古墳文化
の土師器を出土する七戸町大沢遺跡や、続縄文文化,石製模造品は、散発的であるが古くから知られており、
古墳文化
の特徴的な精神文化遺物として注目されていた。
通史編1(古代・中世)
(東北地方の古墳時代)
では、太平洋に面する東側と、日本海に面する西側とでは遺跡や遺物の分布状況からみるかぎり、北進してきた
古墳文化
,であった稲作農耕を欠き、食料採集に生活基盤をもつ北海道系の続縄文文化の遺物が多くみられるようになり、
古墳文化
資料編1(考古編)
(1.古墳時代の概観)
一つは福島県・宮城県・山形県を中心とする東北地方南部の
古墳文化
であり、もう一つは青森県・秋田県・岩手県,
古墳文化
は、西日本を中心として発展した文化で、弥生時代後期ころに米を主体とする農業生産物の蓄積を背景として,収めたことは想像に難くないが、この時期、青森県内にもガラス玉、石製模造品、鉄器、須恵器、土師器などの
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(原エミシ文化の形成)
青森県では、続縄文文化をもった北海道系の人々が南下して居住したと考えられているが、質的には続縄文文化でも
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(三十八年戦争の時代)
それまでの律令国家の直接の支配領域は、すでに
古墳文化
の時代に、程度の差こそあれ、何らかの形で大和政権とかかわりのあった
通史編1(古代・中世)
(東北地方北部の群集墳)
そして、この群集墳は文献史上律令国家によって「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々の一部が、
古墳文化
の影響のもとに
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
弥生時代の本県の稲作の痕跡や、
古墳文化
特有の祭祀遺物である石製模造品の分布などから、東北北部も
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(弥生文化と続縄文文化)
の系統を引く細隆起線で特徴づけられる一群の土器を江別式から分離してしまうことには多少の問題が残るが、
古墳文化
通史編1(古代・中世)
(新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)
古代蝦夷の時代 1 第一節 原エミシおよびエミシ文化の時代 ………………………… 2 一
古墳文化
北進
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