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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(古懸浮石流凝灰岩)
古懸
浮石流凝灰岩 碇ヶ関村
古懸
(こがけ)、大鰐町唐牛(かろうじ)・苦木(にがき)・蔵館(くらだて)・,
古懸
浮石流凝灰岩直下の泥炭層中の埋没樹。,丘陵表面を覆う
古懸
浮石流凝灰岩直下の古土壌中の埋没樹。,Gak-19385 山口 (2000a)
古懸
浮石流凝灰岩は、碇ヶ関村
古懸
では軽石粒やマグマと直接的,(碇ヶ関村
古懸
)
古懸
浮石流凝灰岩直上には特徴的な黄褐色の軽石質火山灰層が載っている。 /
古懸
浮石流凝灰岩
通史編3(近世2)
(三不動)
三不動
古懸
(こがけ)(国上寺)・中野(中野神社)・長谷沢(ながいさわ)(長谷沢神社)の不動尊は、一本,図248.
古懸
山國上密寺お札
通史編1(自然・原始)
(平賀面)
ボーリング資料からみると、
古懸
浮石流凝灰岩および駒木浮石流凝灰岩の二枚の火砕流堆積物から構成されているのが,上位の
古懸
浮石流凝灰岩は黒石面の前縁において、下位の駒木浮石流凝灰岩を不整合(17)に覆うように堆積して,尾上町に位置する五輪野(ごりんの)遺跡の発掘調査では表土直下に碇ヶ関浮石層があり、下位に
古懸
浮石流凝灰岩,また、
古懸
浮石流凝灰岩の下位にも軽石質砂層(厚さ七~八メートル)があって、駒木浮石流凝灰岩に対比される,発掘調査で確認した基本層序は、
古懸
浮石流凝灰岩直上に、下位から軽石密集層と砂層の互層、碇ヶ関浮石層の順
通史編1(自然・原始)
(常盤面)
なお、浪岡町における常盤面を構成する
古懸
浮石流凝灰岩直上の泥炭層からは約五〇〇〇年の年代測定値が得られていることから,シルト層上位の軽石質粗砂層(厚さ五・五メートル)は
古懸
浮石流凝灰岩に対比され、亜角礫~円礫の安山岩の異質礫,三メートルの、軟弱な(N値二~四)灰褐色の砂質粘土~有機質粘土(一部細砂との互層)が堆積し、下位には
古懸
浮石流凝灰岩,田舎館村境森(二三メートル)・常盤村若松(二二メートル)・同村立明徳中学校⑧(二一メートル)などでは、
古懸
浮石流堆積物
通史編1(自然・原始)
(境関面)
境関面 平川流域の自然堤防の背後に分布する扇状地性の低湿地であって、
古懸
浮石流凝灰岩直上にシルト~粘土,軽石質砂層の重鉱物組成では磁鉄鉱、紫蘇輝石、普通輝石、角閃石の順で多く含まれていることから
古懸
浮石流凝灰岩,二三メートル)では、シルトと細粒砂層の互層(N値二~三、約四メートル)、砂礫層(約四メートル)、そして
古懸
浮石流凝灰岩
資料編1(考古編)
(第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表)
北郡中里町芦野 牛島ほか (1962) 芦野T-1号井の深度-39.0mの泥炭 Gak-222
古懸
浮石流凝灰岩,#176;28′55″ E 140°37′49″ 山口 (1993) 南津軽郡碇ケ関村
古懸
浮石流凝灰岩中,の砂層直上の凝灰岩に含まれる樹幹 Gak-16552
古懸
浮石流凝灰岩 13,170±170B.P,#176;28′55″ E 140°37′49″ 山口 (1993) 南津軽郡碇ケ関村
古懸
浮石流凝灰岩中,の砂層直下の凝灰岩に含まれる樹幹 Gak-16553
古懸
浮石流凝灰岩 12,960±210B.P
通史編3(近世2)
(神職の扱い)
正徳五年(一七一五)、
古懸
不動尊の出汗に当たり、八幡宮神主が、町馬一五匹を用意させ下社家と神子を含めた,その任務は所属する神社の毎月の神事、臨時の神事、
古懸
不動尊出汗の神事のほか、夜間の当番、雪片付け、雪下
通史編3(近世2)
(三代信義)
一六三八)の浪岡八幡宮に続いて、百沢寺大堂、外浜善知鳥宮(現善知鳥神社(うとうじんじゃ)、青森市)を再建、
古懸
不動尊
資料編1(考古編)
(41.遠手沢層(とおてざわそう))
備考:今泉(1949)の
古懸
層、浅瀬石層(青森県,1954)の一部、今泉(1949)の大釈迦層に相当する
通史編1(自然・原始)
(城東面)
城東面 城東面はシルト層や砂礫層の堆積のほかに、
古懸
浮石流凝灰岩と駒木浮石流凝灰岩に相当する軽石質砂層,石川城跡では上位の
古懸
浮石流凝灰岩に相当する軽石質砂層に包含される未分解の流木から一万二六〇〇年前の年代測定値
通史編3(近世2)
(国上寺)
国上寺 国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関村)は
古懸
不動尊(こがけふどうそん)を祀る。
通史編1(自然・原始)
(三 津軽平野南部の地形発達)
縄文海進にむかう約一万三〇〇〇年前に、十和田カルデラを形成する再度の噴火活動により
古懸
浮石流凝灰岩が津軽平野,引座川流域では平賀丘陵から流れる小谷あるいは平川による浸食で黒石Ⅱ面が大きくえぐられたために、
古懸
浮石流凝灰岩,常盤面および境関面はこの海進時に河川の氾濫によって形成されたもので、浪岡町における
古懸
浮石流凝灰岩の直上,また、
古懸
浮石流凝灰岩の直上に堆積する、軟弱な砂・泥・泥炭層の堆積物から判断して常盤面および境関面の堆積環境
通史編3(近世2)
(一代本尊)
勢至菩薩 袋の観音(白山姫(はくさんひめ)神社) 未・申 大日如来 大鰐の大日様(大円寺) 酉 不動明王
古懸
不動
資料編1(考古編)
(3.浅井火山灰Ⅵ)(あさいかざんばい))
下部の火山灰流凝灰岩は大池・中川(1979)の八戸浮石流凝灰岩、山口(1993)の
古懸
(こがけ)浮石流凝灰岩
通史編2(近世1)
(参勤交代路と街道の状況)
「従碇ヶ関峠
古懸
山入り口迄海道筋絵図」(弘図津)には、碇ヶ関から
古懸
(こがけ)入り口付近の街道の両側には
通史編1(自然・原始)
(駒木浮石流凝灰岩)
全体的に
古懸
浮石流凝灰岩よりも本質岩片の粒径が大きく混入量も多く、また軽石粒の混入も多い。,流下した規模を、浅瀬石川および平川流域での埋積量から判断すると、駒木浮石流凝灰岩をもたらした噴火規模が
古懸
浮石流凝灰岩
通史編1(自然・原始)
(田舎館面)
砂礫層の下位には円礫混じりの軽石質砂層が約三・五メートルの厚さで堆積しているが、角閃石が含まれることから
古懸
浮石流凝灰岩
資料編1(考古編)
(45.十和田火山噴出物Ⅰ)(とわだかざんふんしゅつぶつ))
平川流域では、それぞれ駒木浮石流凝灰岩(約28,000年前)・
古懸
浮石流凝灰岩(約13,000年前)に
資料編1(考古編)
([口絵])
8,600年前)/Cu:中掫浮石層(通称〝アワズナ〟、5,000~6,000年前) 〔碇ケ関村
古懸
,〕 約1万3,000年前に十和田カルデラ(外側カルデラ)に起因する火砕流(
古懸
浮石流凝灰岩)が平川流域
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
また、唐僧円智が大日を神岡に、観世音を護国山に、不動尊を
古懸
山に安置すとも伝える。,名称 所在地 開山 開山年次 宗派 備考 国上寺 碇ケ関村 (もと
古懸
村) 円智 推古天皇十八年(六一,〇) 真言宗
古懸
村の浪不寄八幡は、延暦中に田村麻呂の建立と伝え、この八幡の別当は国上寺の塔頭・蓮性院
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
同十七年(一六四〇)六月には百沢寺大堂の再建をし(同前No.六一四)、翌十八年(一六四一)正月には
古懸
,(こがけ)不動尊(碇ヶ関村
古懸
)の建立(同前No.六二七)、四月には青森安方町に善知鳥(うとう)宮を再興
通史編1(古代・中世)
(延久蝦夷合戦と津軽)
神岡山には今もなお礎石や基壇が残る・写真75)や、建長六年(一二五四)の北条時頼再興伝承をもつ碇ヶ関村
古懸
通史編1(自然・原始)
(高杉面)
また、
古懸
浮石流凝灰岩に相当する粘土質な凝灰質砂層も薄く載り、両層間には泥炭層が厚く堆積したり、インボリューション
通史編2(近世1)
(弘前八幡宮の祈祷)
その重要な社務内容の一つに藩庁から命じられるさまざまな祈祷と
古懸
不動尊出汗(こがけふどうそんしゅっかん
通史編3(近世2)
(大社の神仏分離)
ほかに
古懸
(こがけ)不動尊別当の国上寺(こくじょうじ)(現南津軽郡碇ヶ関(いかりがせき)村)、観音堂別当久渡寺
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」の編纂まで)
寛文四年(一六六四)、藩では領内の
古懸
(こがけ)不動尊・浪岡八幡宮・百沢宮(ひゃくたくのみや)をはじめとする
通史編3(近世2)
(出発)
九十九森(くじゅうくもり)村・唐牛(かろうじ)村・餅ノ木(もちのき)村へ入り、ここから左の道を進んで
古懸
不動
通史編3(近世2)
(居開帳)
図25.岩木山百澤寺お札 貞享元年(一六八四)、藩主家の人々が
古懸
(こがけ)の不動尊(国上寺)
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
四月には『陸奥考古』を発刊し、弘前市十腰内猿沢(とこしないさるさわ)をはじめ、碇ヶ関(いかりがせき)村
古懸
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
木造町蓮川(はすかわ)の石上(いしがみ)神社遺跡(一九七六年発掘、十世紀代=平安時代)(136)、碇ヶ関村
古懸
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●寛永十八年(一六四一)正月、
古懸
不動尊を建立。
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