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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(元禄の大飢饉と家臣召し放ち)
元禄の大飢饉と家臣
召し放ち
元禄八年(一六九五)の凶作は、従来貯蔵していた米穀を売り払ってしまうという,さらに藩では、家臣
召し放ち
(家臣に対して暇を出すこと)によって飢饉とそれに伴う財政難に対処しようとする,暇を出された人数と知行高の割合を勘案してみると、知行高では平均三六・六石で、
召し放ち
の主要な対象が下級家臣,家臣団
召し放ち
による影響は支配機構にも影響を与えることになった。,番方で
召し放ち
の影響が最もよく表われた留守居組の場合、四一人が暇を出されているが、これはそれまでの留守居組士 / 元禄の大飢饉と家臣
召し放ち
通史編3(近世2)
((一)治安機構と共同体規制)
四代藩主津軽信政(のぶまさ)の治政下、元禄八年(一六九五)の大飢饉を契機として、藩では家臣団の大量
召し
,
放ち
を実施した。
通史編2(近世1)
(家中屋敷の郭外移転)
家中屋敷の郭外移転前後の「弘前惣御絵図」 屋敷替えが可能になった背景には、先にみた家臣の大量
召し
,
放ち
があるとされる。,城下の侍町には
召し放ち
によって多くの空き屋敷が生じた。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
では、深刻な凶作・飢饉の例として、元禄飢饉を取り上げ、そこから波及する藩士知行の借り上げ、さらには家臣
召し
,
放ち
(家臣団の整理)、倹約令などの史料を掲げた。
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
によって、弘前藩では「減少」と呼ばれる、藩士・足軽・小人・中間や藩から扶持米をもらっていた職人・町扶持人の
召し
,
放ち
を大量に行った。
通史編2(近世1)
(信政晩年の藩政)
そして、藩主信政が隠居した場合、隠居料の確保は「御譜代之侍」の
召し放ち
によるような状況で、新藩主が跡を
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
244 三 寛文蝦夷蜂起への出兵 ……………………………………… 256 四 元禄九年の家臣
召し
,
放ち
と支配機構の再編 ……………… 274 五 殖産政策と文教政策 ……………………………………
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