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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (和徳村との合併問題)

和徳村との合併問題 弘前市と和徳村の合併問題は、奥羽線弘前・青森間の開通に伴う弘前駅の設置に端を発していた,合併問題は常に「部落的観念」による対立・紛争を生じ、合併交渉における利害の相違から新たな課題も発生する,写真3 昭和初期の弘前駅 写真4 昭和初期の土手町  和徳村の合併問題が具体的に再開したのは,けれども合併をめぐって紛糾し続けた和徳村合併問題も、昭和十年(一九三五)十二月二十五日に至って、ようやく,昭和十一年一月一日を期して、紛糾を続けた和徳村との合併問題は一応の終結を見ることになったのである。 / 和徳村との合併問題
通史編5(近・現代2) (中弘地区の合併推移)

合併問題でまず重視されることは財政問題である。,もちろん中津軽郡各村も自らの財源が苦しかったのは弘前市同様であり、合併問題は他人ごとではなかった。,が、市制の施行と大規模町村の設置に向かい、自治庁(のち自治省、現総務省)も大町村主義を志向したため、合併問題,桜田市長も合併案は当初打ち出した八、九ヵ村に限定しないと発言し、合併問題は新たな段階に入った。,中弘地区の合併問題は県との構想の違いもあって、なかなか進まなかった。
通史編5(近・現代2) (市域の整備と町村合併)

だが昭和期になって弘前市や他の町村全体を襲ったのは、市域全体の構造枠を決める町村合併問題であろう。,爾来(じらい)、郡市合併問題は弘前駅周辺の和徳村合併と併せ、歴代市長の課題となっていた。,この合併問題が解決機運を見せたのは、郡役所の廃止と郡制の廃止であり、昭和初期の金融恐慌がもたらした財政難,昭和戦前期の合併問題でもっとも重要であり紛糾したのは、和徳村の合併であろう。
通史編5(近・現代2) (市民の要望と行政の方向)

合併問題のさなかにさまざまな施政方針を聞かされてきた地域住民にとっては、「新弘前市」に期待すること、要望,町名変更に関する陳情などは、合併問題を大いに反映したものといえるが、全体的に自治体としての基本的施策に,合併問題で見逃されがちなことは、合併を前後して自治体規模が突然大きくなることと、それに伴う行政と市民の,地域住民も合併問題に自発的に取り組む必要 がある。
通史編5(近・現代2) (石川町の存在)

石川町の存在 合併問題のなかで石川町は各方面から合併推進の対象候補に挙げられていた。,双方の首長が交替したことで、石川町合併問題は本格的な議題となる。
通史編5(近・現代2) (波乱含みの合併成立)

ここに四ヵ月にわたっての大混乱の末に、ようやく石川町合併問題は終止符を打ったのである。  ,石川町の問題に限らず、合併問題は明治・昭和前期のときと同様、全国各地で大なり小なり紛糾をもたらすものである,いずれにせよ合併問題は、いったい誰のための合併なのかを、交渉当事者だけでなく、市町村民自らが考えていかなければならないことを
通史編5(近・現代2) (石川町、弘前へ合併)

森山・八幡舘両部落の大鰐町への分市を可決、十月一日、大鰐町議会は受け入れを可決して、弘前市と石川町の合併問題
通史編5(近・現代2) (国や県の動向)

青森県の合併問題はここに本格的な段階に入るのである。
通史編5(近・現代2) (混乱・混迷の合併交渉)

南郡議員団の行動に対しても、反対運動の本心が石川町の合併問題よりも、同町の得票によって左右される南郡議員
通史編5(近・現代2) (紆余曲折の合併交渉)

各紙はいずれも合併問題の難産を予想し悲観的な論調が強かった。
通史編5(近・現代2) (岩木村の成立と飛び地の誕生)

合併問題に際し財政事情が憂慮の種となっていたことがわかる。
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