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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (斎藤規房)

斎藤規房 信政が吉川惟足(よしかわこれたり)に師事したことから、本藩では吉川神道との関係が深い。,翌十一年十一月学問所の和学方御用掛に任じられ、同十二年十月高岡神社の祭司手代、同十三年二月には祭司を命じられた(「吉川神道関係資料,彼の編著「神書講述習之心得」では自己意識を突破して、無心の内に神に帰一する「神人一致」の吉川神道の奥義
通史編3(近世2) (信政)

これにより、吉田の一字をとって吉川を姓とし、吉川神道の創始者となって、遂に幕府の神道方になり、徳川頼宣,一七一〇)、遺命により岩木山麓の高岡霊社(たかおかれいしゃ)(現高照神社)に、北川新次郎が導師となり、吉川神道
通史編3(近世2) (高岡霊社)

宝永七年(一七一〇)、信政が弘前城で死去すると、遺言により吉川神道の法式にのっとって、北川新次郎が導師
資料編3(近世編2) (●高照神社 岩木町大字百沢字神馬野)

岩木町大字百沢字神馬野 (一)本殿--県重宝  津軽四代信政が神式で埋葬されたところであり、五代信寿により、吉川神道
通史編3(近世2) (信政の教養)

惟足は吉川神道を唱道し、紀伊和歌山藩主徳川頼宣(よりのぶ)、会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)などからの,同七年(一七一〇)病没の時は、遺命によって岩木山麓百沢に吉川神道の法式をもって葬られた。
通史編2(近世1) (高照神社「御告書付」の開始)

信政は、吉川神道(よしかわしんとう)創始者の吉川惟足(よしかわこれたり)(従時(よりとき)、一六一六~
通史編3(近世2) (江戸時代中期の建築)

および幣殿(へいでん)・随神門(ずいしんもん)は、四代信政が神式で埋葬された宮であり、五代信寿によって、吉川神道
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