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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (秋田安東実季の名護屋参陣)

秋田安東実季の名護屋参陣 天正十九年から朝鮮出兵へ向けて準備が本格化していたが、翌文禄元年、奥羽・「,日の本」に至る諸大名は名護屋参陣を下命され、続々名護屋へ参集した。,この名護屋参陣の際、実季は家臣へ「名護屋御陣用意(なごやおんじんようい)」のため軍役に当たる金子の上納,未進の物成(ものなり)から逃れるためだと豊臣政権に訴えているが、事実、文禄元年の太閤蔵入地からの物成や名護屋参陣 / 秋田安東実季の名護屋参陣
通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

奥羽大名の名護屋参陣 天正十五年(一五八七)五月、九州平定を終えた秀吉は、対馬の領主宗義調(そうよししげ,文禄二年三月十日、秀吉は朱印状によって名護屋参陣の諸大名に新たに朝鮮出兵の軍編成を公表した。,き起こった九戸一揆鎮圧の部隊編成が一部改編されながらほぼ踏襲されており、東北の大名にとってまさにこの名護屋参陣,、文禄元年三月十三日の朱印状によって浅野長吉らの奉行や大名に「関東・出羽・奥州・日の本迄」の大名衆が名護屋参陣,なお、津軽為信の名護屋参陣を記した史料は津軽家側では皆無に近い。 / 奥羽大名の名護屋参陣
通史編2(近世1) (浅利騒動と津軽氏)

すでに信直は秋田氏と名護屋参陣中に盟約を交わし、祝言の約束を取り交わしており、この為信の対応は、南部氏
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

名護屋における「日本之つき合」 文禄元年四月ころに名護屋参陣を果たし、それから約一ヵ月過ぎた五月二十五日,安藤(秋田)氏とは今まで先代からの遺恨(いこん)がありなかなか和睦(わぼく)できなかったが、今度の名護屋参陣,蠣崎氏の名護屋参陣は、前年に加藤清正がオランカイに侵攻し、そこが蝦夷に近いという観念が急速に広まったことを
通史編2(近世1) (伏見築城と奥羽大名)

図28.安宅船復元模型  秋田氏は、すでに伏見城普請の材木を廻漕する以前の名護屋参陣中に材木の献上
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

秀吉は、天正十九年(一五九一)の九戸一揆と、それに続く文禄元年(一五九二)からの名護屋参陣において、奥羽
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●文禄元年(一五九二)正月、関白豊臣秀次、条書を下し、唐入りにつき大名の名護屋参陣を命じる。
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