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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
((三)主要人物)
○〈
和歌
〉匹(疋)田甫庵(ひきたほあん)(?,医術のほかに諸道に達し、特に
和歌
に優れ、信義の催す歌会には必ず出席するよう命じられ、津軽の
和歌
の振興に,○〈
和歌
〉間山甚五郎祐真(まやまじんごろうゆうしん)(?,○〈
和歌
〉長利仲聴(おさりなかあきら)(一八二二~一九〇三) 弘前熊野宮宮司。,阿部仲昌(あべなかまさ)・斎藤規沖(さいとうのりおき)について神学や
和歌
を学び、のち歌人として藩で名声
通史編3(近世2)
((二)系統図)
和歌
俳諧
通史編1(古代・中世)
(稀有な北の富)
三十六歌仙の一人能因(のういん)法師の
和歌
(『後拾遺
和歌
集』・写真61)にもこの布が登場するほど都では,写真61『後拾遺
和歌
集』
通史編3(近世2)
(信義)
『
和歌
山県高野山遍照尊院旧弘前藩主津軽家墓所石塔修復調査報告』(一九八八年 遍照尊院刊)によると、墓石一八基
通史編3(近世2)
(藤先寺)
この時、近衛前久が供養のために贈った
和歌
六首が現存する。
通史編3(近世2)
((一)概要)
ここでは弘前城下を中心として開花した
和歌
と俳諧について、最初にその概要を記しておきたい(出典は『伝類』,
和歌
については、津軽における歌道振興がみられたのは三代藩主津軽信義(つがるのぶよし)の時代である。
通史編1(自然・原始)
(亀ヶ岡文化の広がり)
のなかでも他の追従を許さぬほど広く、北は津軽海峡を越えて、北海道先端の宗谷岬に達し、南は遠く神戸市から
和歌
山県
通史編5(近・現代2)
(紅緑の少年時代)
在学中、校友会誌「校友」(同前No.七二〇)に文章、
和歌
、長詩を掲載していることは注目に値する。
通史編1(古代・中世)
(エゾ呼称の発生)
一二世紀初めまでには成立していたといわれる『今昔物語集』、あるいは院政期の
和歌
などには、ツガル・チシマ
通史編4(近・現代1)
(開化思潮の影響)
国風尊重の人々だけに、わざわざ「外国の品物に手を触れず」という題で、一人三十首ずつ
和歌
を詠み、これを額,猿賀神社に赴き、さきの掲額に大工にかんなをかけさせた上、今度は「外国の品物を用うべし」と題して百首ずつの
和歌
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
弘前神明宮(青森県弘前市) 弘前八幡宮(青森県弘前市) 普門院(青森県弘前市) 遍照尊院(
和歌
山県伊都郡高野町
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
宮内庁正倉院事務所 宮内庁書陵部 国見町教育委員会 熊野奥照神社(弘前市) 熊野那智大社(
和歌
山県東牟婁郡那智勝浦町
通史編3(近世2)
(草創期三代)
三代信義も書画に長じ、殊に歌道は優れ、堂上の歌人中院通茂の門人となり、「愚詠
和歌
集」を残している。
資料編1(古代・中世編)
(協力者及び協力機関一覧(敬称略))
(青森県弘前市) 鶴岡市郷土資料館(山形県鶴岡市) 東京国立博物館(東京都台東区) 那智大社(
和歌
山県那智勝浦町
通史編3(近世2)
(喜多村校尉政方)
かいうんどうししゅう)」三巻、「甘露山(かんろざん)」一冊、「行東海道紀行(こうとうかいどうきこう)」一冊、
和歌
資料編1(古代・中世編)
(-例言-)
年代順に排列し(年次不詳のものについては、推定年次の箇所に掲げた)、非編年史料については説話・物語・
和歌
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
口絵12 弘前市 貞昌寺蔵 口絵13 弘前市 長勝寺蔵 口絵14 南津軽郡大鰐町 大円寺蔵 口絵15
和歌
山県東牟婁郡那智勝浦町,58 南津軽郡浪岡町大釈迦工業団地調査会 写真59 撮影 写真60 仙台市博物館蔵 写真61 後拾遺
和歌
集,写真181 弘前市教育委員会 写真182 同上 写真183 松前年代記 弘前市立図書館蔵 写真184
和歌
山県東牟婁郡那智勝浦町,写真223 津軽一統志首巻 弘前市立図書館蔵 写真224 法立寺縁起 弘前市 法立寺蔵 写真225
和歌
山県東牟婁郡那智勝浦町
通史編3(近世2)
((三)主要人物)
初め
和歌
山藩に仕えたが、ゆえあって同士を打ち果たし、江戸へ出て本間民部左衛門と改名し、弓術(石堂竹林流
通史編4(近・現代1)
(笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体)
沖野は、大逆事件で死刑に処せられた医師大石録之助が所属していた
和歌
山県新宮教会の牧師であった。
通史編3(近世2)
(信政の教養)
惟足は吉川神道を唱道し、紀伊
和歌
山藩主徳川頼宣(よりのぶ)、会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)などからの
通史編2(近世1)
(相馬大作事件)
、十八歳で江戸に出た彼は幕臣夏目長右衛門に師事、同五年には夏目の紹介で、当時、名剣士として名をはせた
和歌
山藩士平山行右衛門
通史編5(近・現代2)
(金融危機の勃発)
3 2 6 兵庫 4 2 4 10 奈良 1 1
和歌
山
資料編1(古代・中世編)
([十二世紀])
●久安六年(一一五〇)、エゾについての
和歌
。
通史編3(近世2)
(信寿・信著・信寧時代)
画人としては寒葉斎(かんようさい)、俳人としては涼袋(りょうたい)、
和歌
・片歌(かたうた)・国学・読本
通史編1(古代・中世)
(蝦夷管領)
京都市中において、北海道を含む蝦夷地とその産物への関心が高まったことについては、その地を詠み込んだ多くの
和歌
通史編1(古代・中世)
(中世の境界認識)
院政期の
和歌
(史料五一六)にもしばしば詠み込まれている。
資料編1(考古編)
((6)縄文時代晩期)
逆に南の場合は、前述した模倣品が近畿地方の各地で出土しており、その伝播の先端は、
和歌
山県の日高川流域にある
通史編3(近世2)
(居開帳)
享保十八年(一七三三)、法脈の本山高野山遍照尊院(現
和歌
山県伊都郡高野町)で弘法大師九〇〇年忌があること
通史編3(近世2)
(新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)
601 一 学問 ……………………………………………………… 601 二 文芸―
和歌
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
誓願寺 240 弘前市 蘭庭院 241 中津軽郡岩木町 岩木山神社 242 南津軽郡平賀町 243
和歌
山県伊都郡高野町
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第2章〉)
について」(北海道開拓記念館研究年報3) 1975年3月 *61 中村貞史 「縄文時代の遺跡と遺物」(
和歌
山
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
江上波夫教授古稀記念論集 考古・美術編) 1976年 *140 前田潮 「北海道の内耳土器について」(
和歌
森太郎先生還暦記念
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
………………………… 新訂増補国史大系 熊野那智大社文書 …………………………………………… 原本〔
和歌
山県那智勝浦町
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………… 左京大夫顕輔卿集 134 ●久安六年(一一五〇)、エゾについての
和歌
。
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