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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(津軽の唐糸伝説)
津軽の
唐糸
伝説
東北全体に視野を広げると、右の二つの類話と見なされる廻国
伝説
が広く存在することが知られている,それらのうち、北条得宗領と深く関わるのが
唐糸
御前系の
伝説
で、青森から秋田にかけて分布するものである(図,図39 北東北の
唐糸
伝説
に関係する地域 まず、市内の
唐糸
山萬蔵寺にあったという「
唐糸
山満蔵寺毘沙門天尊像之縁起,この
伝説
の主人公である
唐糸
とは、早くも中世室町期の御伽草子の一つ「
唐糸
草子」にその名がみえるが、ただそのなかでは,古文書が現存しているわけではないから実証は難しいが、秋田方面にそうした古伝が残っていないことからすると、
唐糸
伝説
/ 津軽の
唐糸
伝説
通史編1(古代・中世)
(秋田の唐糸伝説)
秋田の
唐糸
伝説
秋田方面では、時頼が鎌倉への帰途、初七日・二七日・三七日と、区切りごとに
唐糸
の菩提を,『初七日山釈迦堂略縁起』『羽州秋田郡土崎湊納坂二七日山光明寺御本尊釈迦如来並寺之縁起』では、
唐糸
は「鎌倉金沢,やがて時頼が諸国巡検の折に「津軽藤崎湊」へ立ち寄り、そこで
唐糸
と再会するが、
唐糸
は書き置きを残して「烏,三七日山阿弥陀堂略縁起』(写真108)では、時頼が「諸国執行をして天下の善悪」をみるために廻国に出たあと、
唐糸
,たまたま奥州津軽へ下っていた時頼が、浜辺に流れ寄せた「空舩」を見つけると、そこにすでに息絶えた
唐糸
が乗 / 秋田の
唐糸
伝説
通史編1(古代・中世)
(時頼廻国伝説)
時頼廻国
伝説
当地が得宗領となる次の画期としては、著名な執権の一人である北条時頼の時代が考えられる。,県下には藤崎町を中心に時頼廻国にちなむ、その妾
唐糸
御前(からいとごぜん)の
伝説
(写真103)があり、また,104)は廻国中の時頼を助けたことによる恩賞としての、旧寺院を破却しての創建と伝えられるなど、時頼の廻国
伝説
,写真103 延文の板碑(藤崎町) (
唐糸
の板碑) 写真104 法光寺(三戸町) / 時頼廻国
伝説
通史編1(古代・中世)
(得宗領・安藤氏との関わり)
ではみられないので、秋田で付加されたものらしいが、土崎湊といい、外浜といい、藤崎湊といい、能代湊といい、いずれも
唐糸
伝説
,津軽にも「清藤家由緒書断簡」(尾上町)などのように、
唐糸
の漂着先を十三湊とするものがある。 ,あるいは後述の安藤氏と密接にかかわる時衆集団、ないしは修験の集団、またはさまざまな芸能集団が、まず津軽に
唐糸
,
唐糸
伝説
と得宗領の分布とは密接なかかわりをもつものなのである。
通史編3(近世2)
(万蔵寺)
万蔵寺 「長勝寺並寺院開山世代調」によれば、弘長二年(一二六二)、藤崎村
唐糸
(からいと)の前(現南津軽郡藤崎町,臨済宗護国寺に改めたとか、霊台寺に改めたなどと記され、戦乱の中で衰微し、曹洞宗万蔵寺に改称したことと、
唐糸
御前,の
伝説
を伝えている。
通史編1(古代・中世)
(「嘉元鐘」)
藤崎や護国寺については、すでに
唐糸
にまつわる時頼廻国
伝説
のところでも述べたが、鎌倉幕府による当地方支配,たとえば『津軽俗説選後拾遺』には、「沈鐘
伝説
」「十三湖底の鐘」の項があり、十三湖に沈んだという、この鐘,にまつわる
伝説
が載せられている。
通史編1(古代・中世)
(三 北奥宗教界の中世的転回)
写真144 『津軽一統志』
唐糸
前
唐糸
前 此所有二墳墓一、曰レ伝最明寺時頼鎌倉副元帥北條相模守,、之妾
唐糸
ト云者、謫(テキ)二死於此所ニ一、其古墳石碑等存ス二于今一、因而名レ之 曹洞縁起誌滿藏寺之篇,、略而記之、
伝説
ニ曾テ藤崎村有二
唐糸
ト云者一、時頼公之妾也二、婦人妬ニ一、弘長年中遷サル二于茲一矣一、,愁苦時移リ形容枯倅ス、于レ時有二最明寺廻国之唱一而曰三駕已ニ入ト二于彊ニ一也、
唐糸
謂ツテ二其婢ニ一云ク,それはともかく、ここでの最大の関心事は、この
唐糸
御前の悲恋史話が北条時頼の廻国伝承とセットをなして語り
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
この寺は、北条時頼が愛妾「
唐糸
御前」の供養のために建立したと伝えられ、付近には五輪塔や板碑も残されている,なお『津軽俗説選後拾遺』には、「沈鐘
伝説
」と「十三湖底の鐘」の二つの項があり、「嘉元鐘」にまつわる伝承
資料編1(古代・中世編)
(第二節 五輪塔)
もう一つの分布ラインは、藤崎町の
唐糸
塚・昭伝寺墓地、中里町中里五林神社の御神体、市浦村十三及び磯松を結,「巴御前の墓」という
伝説
を持つ中崎の五輪塔は、太平洋戦争中に失われたという。
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
執権時頼の開基と伝え、当該地の「
唐糸
」
伝説
をもとどめるこの護国寺は、史料的制約の多い中世寺社のなかで、
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
140 ●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や悪路王
伝説
,南朝編年紀略 224 ●弘和二年(一三八二・北永徳二)二月二十一日、そへ、黒石郷新里の年貢一〇貫文を死後「
唐糸
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