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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(昭和恐慌の勃発と商工業)
昭和恐慌の勃発と
商工業
第一次世界大戦中に日本は欧米諸国に倣って金輸出を禁正し、金本位制度は一時停止,青森県中小
商工業
者救済に就き陳情書 我青森県下中小
商工業
者は、年来の深刻なる不況に加へて、一面には,めに中央市場に対し商取引の信用を失墜し、現金取引の強制愈々烈しく、仕入勘定の督促益々酷なり、若し夫れ小
商工業
者,を徒食して没落の運命を待つあるのみ、而して北国厳冬の時将に到らんとし、年末決済の期二ケ月に迫る、県下
商工業
者,る処とならんか、其心情果して如何、真に寒心憂慮に堪へざるなり 如此苦境と悄愴とに沈淪せる県下中小
商工業
者 / 昭和恐慌の勃発と
商工業
通史編5(近・現代2)
(国家総動員体制下の商工業)
国家総動員体制下の
商工業
日中戦争の開始後、経済は戦時色が強まり、昭和十三年(一九三八)には国家総動員法,戦争が長期化すると、
商工業
に対する統制が一段と強まった。 / 国家総動員体制下の
商工業
通史編5(近・現代2)
(弘前市の商工業行政の方向)
弘前市の
商工業
行政の方向 昭和四十三年(一九六八)五月八日に、弘前市政に中小企業対策を要望する協議会 / 弘前市の
商工業
行政の方向
通史編5(近・現代2)
(インフレの進行と低物価運動)
而(しか)して之に代り全く新しい商工会議所を設立し、
商工業
者の機関として
商工業
者に依(よ)って運営される,吾々は
商工業
の健全な発達を図る為、
商工業
者の正しい与論を集成して、之を阻害する如き政策を排除し、之を促進,に提供し、益々
商工業
の再建と発展とに歩調を揃へて邁(まい)進しようとするものである。 ,
商工業
者大会当日には次の宣言が採択され、また、決議がなされた。 ,昭和二十三年五月十二日 弘前地区
商工業
者大会 決議 本日茲に
商工業
者大会を開き、宣言文の趣旨に
通史編5(近・現代2)
(創立記念)
された開所式において、ときの青森県知事西沢正太郎氏が、その祝辞のなかで「商業会議所は須らく測候所として
商工業
者,を導き、又
商工業
者は商業会議所を灯台として之に頼らざるべからず」と申していることからも私共は容易に伺い,、このような幾多の苦難に遭遇しながらも、たゆまぬ努力と適切な判断により見事これを乗り越え、常に、本市
商工業
界
通史編5(近・現代2)
(商業構成の変化)
38,885,944 95,662,809 43,604,029 238,127,233 前掲『弘前市における
商工業
,将来』 図5 商店従業員数と販売額(昭和33年~41年)(弘前市) 前掲『弘前市における
商工業
,図6 業種別商店数の割合(昭和41年)(弘前市) 前掲『弘前市における
商工業
の現状と将来』
通史編4(近・現代1)
(商業弘前倶楽部の活動)
商業弘前倶楽部の活動 弘前市における
商工業
者団体の活動は、明治十七年(一八八四)の商業弘前倶楽部の活動
通史編5(近・現代2)
(高度成長の開始)
このような高度成長が弘前市の
商工業
をどのように変えていったのかを見ていこう。,第一次産業が三八・九%、第二次産業が一四・一%、第三次産業が四七・〇%である(弘前市『弘前市における
商工業
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の商業)
ところで、明治四十年(一九〇七)前後の弘前市の
商工業
戸数は表39のとおりである。,表39 弘前市
商工業
戸数 種 目 明治39年 明治40年 明治41年 明治42年 明治43年 商 業,3,073 2,568 2,801 弘前商業会議所『弘前市商工人名録 附商工要覧』明治44年
商工業
戸数
通史編5(近・現代2)
(消費税の導入)
弘前商工会議所は、弘前税務署と調整の上、市内の
商工業
者を対象とした説明・講習会を開催した。 ,
商工業
者の皆さまは、さまざまな困難の中で必死に新税に対応してきたことと思います。
通史編4(近・現代1)
(産業組合の設立普及)
青森県で最も早く設立された組合は、同年十二月の無限責任青森信用組合であるが、組合員構成は、
商工業
者が主体,詳細は不明であるが、零細経営の
商工業
者(商人、建具、鍛冶屋など)が相互金融の必要性から、信用組合設立に
通史編5(近・現代2)
(生活環境の整備)
市当局や市内の
商工業
界は、電気こそが文化の普及に役立ち、産業振興に寄与するとして電気普及のキャンペーン,そこで市当局や商工会議所をはじめとして、
商工業
者、電力会社、建設業者、電気器具販売業者、電気工事会社などが
通史編5(近・現代2)
(弘前市商業の特徴)
、全体として大規模化し、販売額を伸ばしているのが高度成長下の弘前市商業であった(前掲『弘前市における
商工業
通史編4(近・現代1)
(弘前商業会の活動)
同会の事務所は親方町に置かれ、また、同会の目的は規約によって、①
商工業
の利害得失を講究し、地方の有益を
通史編4(近・現代1)
(営業税廃止運動)
内容は、営業税は日清戦争の戦費を賄うために作られたものであるが、戦争の終了後も廃止されず、その負担は
商工業
者
通史編5(近・現代2)
(商工会議所の廃止)
青森県商工経済会の発足に当たって宇都宮知事は挨拶を行ったが、その中には
商工業
に関する国の施策を実施する,相成るのでありますが、我国に於ける商工会議所制度の制定は明治中葉に至るのでありまして、其間関係者各位の
商工業
発展
通史編5(近・現代2)
(誘致賛成論)
かつて市は軍都として発展し、市内の
商工業
はその余沢で栄えた。,市街地
商工業
者が市の納税額の約七割を負担している以上、農業の不作によって財政難に陥る危険性もある。
通史編4(近・現代1)
(弘前市長らの商業金融に関する意見)
弘前市長らの商業金融に関する意見 弘前市長の長尾義連と商工会議所の佐藤才八ほか一五人は、
商工業
発展策,リ、金融機関ノ整理ヲ為スコト (二)農工銀行ヲ督励シ、設立趣旨ノ遂行ニ努メシムルコト (三)地方
商工業
通史編5(近・現代2)
(ストライキの顛末)
この間、深刻な影響を受けた津軽地区の
商工業
者は、五月十九日、バス運行確保弘前市民大会を開いて、バスの運行確保
通史編4(近・現代1)
(不況からの脱却)
不況からの脱却 大正期においては、初期の不況を乗り越えて、次第に
商工業
が発展した。
通史編5(近・現代2)
(市の防災・水防対策)
弘前商工会議所には、
商工業
関係被害状況調査や応急対策への協力、東北電力株式会社弘前営業所には応急復旧への,
商工業
関係者の被害対策も農林業関係者同様に必要なものであり、電気と食糧の確保は何よりも市民生活にとって
通史編1(古代・中世)
(戦国時代の都市(城下町)発生)
そのひとつの政策が在地の国人や土豪層を給人(きゅうにん)として家臣団に編成し、
商工業
者を誘致して、彼らを
通史編5(近・現代2)
(戦後復興期の財政)
二十三年五月、物価対策を主題とした弘前地区の
商工業
者大会が商工会議所で開催され、「適正価格の励行」、「,海陸ともに交通運輸の便に恵まれ、これに伴う施設も進展しているが、本市は四方を農村に囲まれ、さらに、戦後
商工業
通史編5(近・現代2)
(地場産業の諸相)
スウェーデン、デンマークと海外からも注文がくるなど新たな漆工芸品として評判を博した(柳川昇他『弘前市における
商工業
,東北織物は従業員二八人の解雇を行い、まもなく会社そのものも解散やむなきに至るのである(前掲『弘前市における
商工業
通史編4(近・現代1)
(凶作の影響)
このため、
商工業
もその影響を受けた。
通史編4(近・現代1)
(工業建設の意見)
同業組合及準則組合ノ活動ヲ促スコト 二、県下ノ有力家ヲ網羅シ、商工協会ヲ組織シ、自治的ニ工業発展策ヲ講セシメ、常ニ
商工業
,ノ地ニ本県物産ノ紹介陳列ヲ為スコト (ト)県庁其ノ他公共団体ノ商工事務担当者ヲ毎年数回会合セシメ、
商工業
発展,ノ方法ニ就、一致ノ歩調ヲ取ルコト (チ)商工税ノ軽減ヲ図ルコト (リ)
商工業
者及職工徒弟ニ対シ表彰
通史編5(近・現代2)
(高度経済成長期の工業)
弘前市総合開発基本計画』昭和47年 弘前市が昭和四十三年(一九六八)に刊行した『弘前市における
商工業
,人以上 267,201 324,990 430,732 624,191 60.3 前掲『弘前市における
商工業
,弘前工場 40.2 2,553 1,621 80 配電盤 30,250 72,230 前掲『弘前市における
商工業
,38.10 1,611 36 菓子器・盛器・銘々皿 30,160 36,780 前掲『弘前市における
商工業
通史編5(近・現代2)
(失業の増加と消費組合)
漸次活況を呈し、特に軍事工業地は大活況を呈しているが、弘前はその影響が少なく、銀行倒産などによる中小
商工業
者
通史編5(近・現代2)
(スーパーマーケットの登場)
36.7.1 総合衣料 佐藤源フードセンター 茂森町88 38.5.24 食品 前掲『弘前市における
商工業
通史編5(近・現代2)
(観光協会をめぐる紛糾)
新会長は市長や商工会議所会頭でなく、弘前市の
商工業
界をリードし続けてきた吉井勇を選出している。,観桜会を中心に弘前市の観光が、市内の
商工業
界に一定の利益をもたらす以上、商工会議所が主導する観光協会は
通史編5(近・現代2)
(弘前商工会の解散)
この法律の成立後は、商工会は、商工会議所が所在しない地域の、
商工業
者が結成する団体の名称となったのである
通史編4(近・現代1)
(弘前商業会議所の活動)
同法では、商業会議所の事務権限が、
商工業
の発達を図るに必要なる方策を調査することなどとされ、また、鉱業権者,それらは、農商務省や青森県などから意見を求められて回答したものや、
商工業
者の利害を代弁して自ら見解を表明
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
304 二 都市財政の展開 ……………………………………………… 308 三 市制施行前後の
商工業
, ……………………………………… 327 四 日清戦後の
商工業
…………………………………………,… 331 五 日露戦後の
商工業
…………………………………………… 336 六 弘前市の,………… 572 三 歩兵第五二連隊と連隊区の廃止 …………………………… 576 第三節
商工業
,………… 584 三 副業的工業製品の製造と販売 ……………………………… 586 四
商工業
建設
通史編5(近・現代2)
(弘前手織)
東北織物と葛西右平の二工場のみとなり、その他の工場は転廃業をやむなきに至った(柳川昇他『弘前市における
商工業
資料編1(古代・中世編)
((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)
それゆえ、これらの記録が正しければ、堀越城では家臣団の集住が進められただけで、領内の寺社・
商工業
者の城下集住
通史編5(近・現代2)
(弘前無尽会社の相互銀行への転換)
特殊事情に精通し、かつ理解ある本店銀行を設立したいとの要望は、弘前市をはじめ周辺の中、南、西、北郡の各中小
商工業
者,したことは、りんごをはじめ、津軽地域における各種農産物の集散地である弘前市の金融を支える銀行として、地元
商工業
者
通史編5(近・現代2)
(金属団地の建設)
(前掲『弘前市における
商工業
の現状と将来』) このように、金属団地の建設は順調に行われた。,9 19 19 19 19 3 16 14 5 11 8 19 19 前掲『弘前市における
商工業
通史編5(近・現代2)
(東北振興)
指導奨励機関および寒地国立園芸試験場の設置、雪害による地方税の負担軽減、金融における低金利促進、中小
商工業
者
通史編4(近・現代1)
(地租増徴問題と青森県)
五%引き下げの時、明治天皇は「深ク休養ノ道ヲ思フ 更ニ税額ヲ減ジ」と地租の偏重を匡済せんとしたのに、
商工業
通史編5(近・現代2)
(東北庁設置の要望)
米アルモ、昭和三、六、七、九、十年度ノ如ク打チ続ク冷害水害ノ凶作ハ、遂二農村ヲ極度ニ疲弊セシメ、従テ
商工業
者
通史編4(近・現代1)
(金融関係法規の制定・改正)
②無尽業法の制定 無尽会社は、中小
商工業
者や個人に利用された金融機関であり、明治末から急激な成長を遂げた
通史編5(近・現代2)
(観桜会運営の一側面)
とくに天候は公園の内外で経営する露店業界や
商工業
界の経営を左右した。
通史編4(近・現代1)
(運輸事業)
運輸事業 運輸に関しては、明治政府は明治元年五月に
商工業
の自由な発達を図るため、
商工業
の株仲間制を廃止
通史編5(近・現代2)
(弘前市建設計画の出発)
弘前市の
商工業
の発展はどうあるべきか。
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
… 68 一 恐慌・戦時下の経済 ………………………………………… 68 二 昭和初年の
商工業
, …………………………………………… 76 三 昭和恐慌と
商工業
………………………………………,…… 83 四 準戦時・戦時経済下の
商工業
……………………………… 87 五 恐慌・戦時下,… 330 一 戦後の復興と弘前の経済 …………………………………… 330 二 戦後の
商工業
,大正期の弘前 第一節 大正デモクラシーと弘前市 第二節 陸軍大演習とシベリア出兵 第三節
商工業
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ水害と商店街)
(『弘前商工会議所会報』二四二号)
商工業
関係施設の被害は表49のとおりであった。
資料編1(古代・中世編)
(五 堀越城下(都市としての堀越)の構造)
形態であること、②城-町曲輪-町という、戦国期城下町に特有の構造を持っていること、③津軽領内の寺社や
商工業
者
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
町並みの推移 廃藩、そして県庁の青森移転で、新時代に取り残されてしまった形の弘前は、
商工業
は沈滞し、
通史編5(近・現代2)
(県債五〇〇万円の成立)
する新聞記事見出し 年月日付 見 出 し 新聞 昭6 12.22 金融回復につき、政府に救済陳情
商工業
者連合協議
通史編1(古代・中世)
(堀越城と城下町)
しかしその規模は小さく、津軽領内の寺院や
商工業
者を集住させるには不充分なものであったことから、津軽氏は
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