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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (大問屋制の導入)

大問屋制の導入 天保期の流通統制を特徴付けるものとして、「大問屋(おおどいや)」制の導入が挙げられる,彼らは「御郡中惣問屋家業御締」という肩書きで、領内のすべての問屋を統括する役目を担わされた。,問屋たちは大問屋の指揮に従うこととされ、青森・鰺ヶ沢の両浜並びに他の湊において荷揚げされた品は、弘前の,荷物は関所の役人が確認した後、扱いの問屋が「出入目録」を作り勤番目付へ提出し、勤番目付が印を押して大問屋,商品荷揚げの手数料(口銭(こうせん))は一件ごとに二歩とされたが、大問屋は一歩を受け取り配下の「下問屋 / 大問屋制の導入
通史編2(近世1) (他領者の入領規制と流通統制)

と流通統制 また、九浦を通じて購入するルート以外の、他領から訪れる「旅人」からもたらされる荷物も大問屋,荷物は大問屋が一括して買い受け、九浦のルートと同様、口銭を徴収し、扱問屋を通じて商人に渡された。,大問屋が定めた値段以下の金額で買い取ることはできなかった。,旅人の「背負商」などの自由な商売は禁止され、従来どおり領内の問屋を経由させられた。,出領時は止宿した問屋から証明を受け、出印紙を発行されてから出領できることになっていたが、惣問屋たちの要望
資料編2(近世編1) (第二節 海運の発達)

四 木材の移出と流通 五 十三小廻しの成立と展開 六 廻船約定の制定 七 難船処理 八 廻船問屋
通史編4(近・現代1) (大正期のりんご流通)

こうしたことから消費地の問屋や小商人がこぞってりんごに目をつけ、産地に買い付けにきたが、悪徳商人による,写真175 津軽林檎輸出問屋皆川商店のりんご荷積み風景(明治38年)  りんご生産量が着々と伸びるなか
通史編2(近世1) (由緒書から)

、笠島氏の先祖は、天正から文禄にかけて越後から津軽へ乗り込み、鰺ヶ沢を拠点として茶の販売を営んでいた問屋
通史編3(近世2) (幕末の交易活動)

それと同時に青森の廻船問屋滝屋(伊東)善五郎や藤林源右衛門は箱館奉行所の御用達(ごようたし)に任命され
通史編2(近世1) (江戸での借財の増加)

津軽屋は元々「米屋」を称する米問屋で、関東・奥州の諸国から民間の流通機構を経て江戸に回送されてくる米の,委託販売を引き受ける「地廻(じまわり)米穀問屋」に属していた。
通史編2(近世1) (青森以外の町の騒動)

同じ西浜の深浦では天明三年七月三十日に蔵米を津出しようとした問屋、三国屋助左衛門・秋田屋惣左衛門が打ちこわしを
通史編4(近・現代1) (郵便事業)

これは既存の定飛脚問屋と競合することとなったが、結局、駅逓頭(えきていのかみ)前島密らの説諭に従って定飛脚側
通史編3(近世2) (青森商社と帰田法)

南津軽郡田舎館村枝川 36 長九郎 1町5反 染屋 南津軽郡浪岡町樽沢 37 嘉兵衛 7町歩余 舟手問屋,西津軽郡岩崎村大間越 38 儀八 9反3畝 舟手問屋・染屋 弘前市百田 注) 資料近世2No.605
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

安政三年(一八五六)四月、青森の廻船問屋滝屋善五郎は、同じく青森の廻船問屋である藤林源右衛門とともに、
通史編2(近世1) (諸役と運上)

さらに、無役の家業では、絹布・木綿・古手・小間物問屋、荒物屋など浄瑠璃太夫に至るまで一一六種にのぼり、
通史編2(近世1) (蝦夷地への人口流出)

町方は町名主、在方は庄屋が発行する印形(いんぎょう)を湊口の問屋を経由して湊目付に提出し、改めを受けた
通史編4(近・現代1) ([口絵])

年富田の大火 (品川町胸肩神社付近の焼け跡) 口絵50 大正初期の自動車 (東長町の果実問屋前
通史編4(近・現代1) (弘前市長らの商業金融に関する意見)

整理ヲ為スコト (二)農工銀行ヲ督励シ、設立趣旨ノ遂行ニ努メシムルコト (三)地方商工業ヲシテ可成問屋若
通史編1(古代・中世) (舶載と国産)

また、問屋のような施設に一度集積された陶磁器、たとえば中国製の碗・皿と国産の瀬戸・美濃などの碗・皿の原価
通史編3(近世2) (織)

なお道玄が京都へ持参した生糸について、和糸問屋の間では日本最上、高級品にも使えるとの評価を得ていた(「
通史編2(近世1) (隠津出・抜け米の取り締まり)

購入状況を御元方勘定奉行に報告し、支払いの仲介に当たったのが御用達元方の商人であり、一般の商品に対する大問屋
通史編5(近・現代2) ([口絵])

色のまちHIROSAKI† 口絵49 〝さおもち〟による薬剤散布 口絵50 林檎移出問屋
通史編2(近世1) (対外交易の実態)

箱館奉行所や東北諸藩の御用達(ごようたし)に任命された廻船問屋滝屋(たきや)善五郎や藤林源右衛門などがその
通史編5(近・現代2) (りんご加工業と輸出)

写真46 林檎果実輸出問屋・今野栄太郎商店
資料編2(近世編1) (【解説】)

幕末に至るまでの、西廻り海運や東廻り海運における商品流通の実態を示す史料を中心に、青森や鯵ヶ沢の廻船問屋史料
通史編3(近世2) (新政府からの借財と藩札の発行)

このころ、青森の廻船問屋滝屋善五郎は日記の中で、いまだに藩が支払うと約束していた兵隊の宿代も下されず、
通史編5(近・現代2) (小売業の動向)

⑧上和徳町商店街・・魚市場をひかえ、その関係による二次、三次卸のはりつきがあり、さらに事務機器等の問屋
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

となったのはいうまでもないことで、官軍の賄い方に関して家老杉山上総は「現今ノ任、軍事、俗事湊合シ、時アリテ参謀ノ如ク、時アリテ問屋
通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

写真97 堀内林檎問屋(蔵主町)  りんご栽培の最初の危機は、明治二十年代以降の病虫害の頻発である
通史編4(近・現代1) (市制施行直前の商業)

質 屋 24 4 5 9 3 … … 3 旅 店 251 36 7 32 11 … … 165 船問屋
資料編3(近世編2) (【解説】)

これに関わって、宮崎札の発行とほぼ同時に「弘前大問屋」が設置されたことは見逃すことができない。,郡中の問屋を彼らの指揮下に置き、領内の流通を取り仕切らせるもので、諸湊・三関所の出入り荷物についても把握,弘前大問屋五人がいずれも米穀商売家業の商人であったことも興味深い。  
通史編5(近・現代2) (弘前市総合開発計画(昭和五十三年計画)の策定)

水産物については一三の問屋があり、いずれも相対取引が主であった。  
通史編5(近・現代2) (安定成長への転換)

三六の卸売業者は組合を結成し、大型問屋街を造った。
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

採取された生漆は漆奉行の管理のもとに置かれたが、漆の実は蝋燭にするため城下の蝋燭問屋へと払い下げられ、
資料編2(近世編1) (新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)

 難船処理  ………………………………………………………………………………  一〇五六   八 廻船問屋
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