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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (後方羊蹄の所在地)

後方羊蹄の所在地 肉入籠・問莵(という)については、渡嶋のうちという以上のことは不明である。,問菟については明治時代から、青森の古名「善知鳥(うとう)」と結びつける説があるが、確証があるわけではない,というのは「しりへし」という音が、アイヌ語のシリペシに近く、その意味するところが「水に臨んだ要害の地」,またそれが確かであるとすれば、問莵は、その音の類似から小泊付近の土標(とひょう)であるとする説もそれなりの
通史編1(古代・中世) (斉明天皇五年の「北征」)

「虜」というのは、蝦夷内部での部族闘争の結果として生じた、敵対する蝦夷の部族から得た捕虜たちのことであろう,その際、比羅夫は船一艘と五色の綵帛(しみのきぬ)(染め分けた絹であるという)を提供して、蝦夷軍の主力となる,七~九世紀の蝦夷集団というのは、相互に通好・同盟することもあれば、対立・抗争することも珍しくなく、このときの,まず肉入籠(ししりこ)に至ると、問莵(という)の蝦夷二人が進み出て、この先の後方羊蹄(しりへし)をもって,まつりごとどころ)」とすることを勧めたので、それにしたがって、ついにこの地に渡嶋の政所(役所)を置いて帰ったという
通史編1(古代・中世) (比羅夫は何回遠征したか)

記述の重複を認めると、三度という遠征回数について疑いが生じ、一度ないし二度しか遠征していないということにもなりかねない,もし官軍に対するために弓矢を用意したというのなら齶田浦の神が罰するでありましょう。,また船一隻と五色の綵帛(しみのきぬ)(染め分けた絹という)をもってその地の神を祀り、肉入籠(ししりこ),すると問菟(という)の蝦夷胆鹿嶋(いかしま)・菟穂名(うほな)の二人が進み出て、  「後方羊蹄(しりへし
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