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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(東奥義塾の啓蒙活動)
菊池は明治十三年春に元老院へ提出した
国会開設
建白書を書いた今宗蔵の部屋に世話になっていた。,これらが素地をなして、東北の
国会開設
運動で義塾が中心となったと菊池は語る。,明治十三年から十四年にわたって
国会開設
請願が全国を風靡したので、塾の講堂は県下有志の集会所となり、木村
通史編4(近・現代1)
(保守派との合同団結)
中央では十月十二日に
国会開設
の詔が出され、全国の自由民権派が躍進し、政党結成の気運が盛り上がっていた。,山田県令は会合の趣旨を説明し、
国会開設
の詔が出され、国政の方向が定まったから、青森県も衰頽(すいたい)
通史編4(近・現代1)
(蝦夷の月)
蝦夷の月 本多庸一が旧藩主津軽家へ提出した紛紜に対する弁明の答申書の第二項に「
国会開設
請願ノ趣意」があり,十月三日午後「当市の出身にして最も古き新教信者たり、また自由党員として辛酸を嘗め、しかも
国会開設
を待たずして
通史編4(近・現代1)
(第一回通常県会)
しかし、これらは、県政・県会に対して組織として行動するということはなく、
国会開設
や国会議員が目標であった,それにしても、十三年三月の本多庸一らの
国会開設
の建白書は、青森県下の有志三千人の代表と唱え、二十二年五月
通史編4(近・現代1)
([付図])
5 文明開化〈明治10年頃〉ジョン・イングと教え子 6 自由民権運動~本多庸一「
国会開設
建言書, 【掲載史料の所蔵および典拠】 6 明治13年公文附録元老院之部二「青森県士族本多庸一等建白
国会開設
一件
通史編4(近・現代1)
(弘前の紛紜の始まり)
ところが、明治十四年十月十二日
国会開設
の詔が出されたので、県令は前言を翻して共同会員の館山漸之進を東津軽郡長,『青森新聞』では編集長として新知識ぶりを発揮し、
国会開設
尚早論を駁(ばく)し、明治十三年四月二十二日には
通史編4(近・現代1)
(中央における大同団結運動)
星亨、中江兆民、末廣重恭ら会するもの二百余人、自由・改進両党いずれも旧怨を捨てて一致協力、
国会開設
に備
通史編4(近・現代1)
(騒動の発端)
況(いわ)んや弘前士民の如きは是れ迄自由民権の説を主張し、
国会開設
の請願に、自由党の結成に、国事に奔走
通史編4(近・現代1)
(遊説の影響)
するには小異を捨てて大同に就き一致団結するにありとの趣旨を得意の雄弁を以て鼓吹したから流石(さすが)に
国会開設
請願運動以来
通史編4(近・現代1)
(新聞の発行)
当時の市民はこれらによって市町村政や憲法発布・
国会開設
、さらには日清戦争などのニュース、政治・社会に関
通史編4(近・現代1)
(県内遊説)
日本人の卑屈さを慨(なげ)き、明治元年の五箇条の御誓文、同八年の立憲の詔、同十二年の府県会開設の精神を
国会開設
路線
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
県士族の集会・論議禁止の布達 8 (1875) 6 東奥義塾生工藤覚蔵、
国会開設
通史編3(近世2)
(弘前の民衆)
していったのは大道寺繁禎(しげよし)・本多庸一(よういち)・菊池九郎・笹森儀助などの旧弘前藩士たちであり、
国会開設
通史編4(近・現代1)
(市制の施行)
スル意ナシ 只目下ノ形勢ヲ考フルアラハ必ス本案ノ不可ナルヲ知ラルルナラン 昨年自治制ヲ発布セラレ本年又
国会開設
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