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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (長利仲聴)

長利は歌人や国学者と広く交わり、門人は数百人あったという。 図176.長利仲聴
通史編3(近世2) ((三)主要人物)

国学者・歌人。,同三年藩命により平田銕胤(ひらたかねたね)の門に入り、広く歌人・国学者と交遊し、また門人も数百人に及んだ
通史編4(近・現代1) (開化思潮の影響)

国学者もこうして時勢に同化していこうとしたが、岩木山神社の神官が明治十年に東照宮に来た時、神職を戒める,国学者の国粋風俗もいまや狂人扱いされてしまったところに、明治の新しい風潮の一面がうかがわれる。
通史編1(古代・中世) (「津軽」の地の独自性)

町八槻(やつき)に関する地名の起源を伝える逸文が、短文ではあるが残されており(写真25・江戸時代の著名な国学者伴信友
通史編3(近世2) (平尾魯僊)

図177.平尾魯仙 図178.岩木山図  画人魯仙は、同時に国学者・民俗学者魯僊でもあった
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

藩は最初社家長を家柄によらず公正に選定するとしていたが、結果的には国学者平田篤胤(あつたね)の没後の門人
通史編2(近世1) (津軽人のみた開港場箱館)

平尾魯僊(ひらおろせん)(一八〇八~一八八〇)は、弘前生まれの画人・国学者として知られた人物である。
資料編3(近世編2) (二 思想)

平尾魯僊(文化五年・一八〇八~明治十三年・一八八〇)は、津軽の代表的画人として知られているが、それと同じく国学者
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

幕末期になると画人であり、国学者でもあった平尾魯仙が板碑に関心を寄せ、『宏齋抄志』に板碑の記事を載せたほか
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