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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(津軽信枚の越後転封)
一方、六月八日付けの憲忠宛て義宣の書状は、福島正則の津軽への
国替
と、津軽信枚への
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通知がないことを伝,一、
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を命じられ、福島正則が津軽へ転封となり、自分は加増されて越後に転封となった。,六、藩から扶持をもらっていない者であっても、このたびの
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に越後に上るという者があったら、路銀その外を,ところが、正則の津軽への
国替
は一変する。,津軽弘前藩の
国替
がなくなったため、秋田藩が領内で津軽家の越後
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に使用させるために準備した馬と舟は、帰京
通史編2(近世1)
(越後加増説)
があった」という文言があり、津軽家はこの時一五万石に加増される可能性があったのである(浅井潤子「津軽の
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騒
通史編2(近世1)
(福島正則の改易)
本来であれば、領地を没収されてそれで終わりになるところ、家康に仕えたということもあって、津軽へ
国替
ということになったのである
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと津軽氏)
さきに述べた慶長五年七月段階の最上氏支援の動員体制にも、慶長六年の上杉景勝
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に際しての動員にも津軽氏,もし、上杉
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時の家康人数書立が、「太閣様御置目」のごとくと称する朝鮮出兵時の軍役に依拠して大名たちに
通史編2(近世1)
(初代為信の動向)
年八月二十四日に上杉景勝が会津若松(あいづわかまつ)(現福島県会津若松市)から米沢(現山形県米沢市)へ
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,慶長六年には上杉景勝の
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えがあったことはすでに述べた。
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
旧大崎・葛西領の大名であった木村吉清・清久は改易され、同地には伊達政宗が
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えされた。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●元和五年(一六一九)六月八日、秋田久保田城主佐竹義宣、家老梅津憲忠へ書状を下し、福島正則の津軽への
国替
,と津軽信枚への
国替
通知のなきことを伝える。,●元和五年(一六一九)六月二十一日、津軽信枚、国元の服部康成と白取瀬兵衛へ書状を下し、越後への
国替
につき,●元和五年(一六一九)六月二十日、幕府、津軽
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に幕臣の島田直時派遣を命じる。,●元和五年(一六一九)七月朔日、秋田領内で越後への
国替
に準備した津軽家用の馬と船を検使島田直時へ譲る。
通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
この軍事編成は、後に葛西・大崎に
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(くにがえ)になる伊達政宗を一番手という先鋒隊に位置づけていることからも
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