• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 5件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編3(近世2) (松森町紙漉)

文政元年(一八一八)、小納戸(こなんど)金をもって国産方を設け、北村源八を御用係に起用して殖産興業を図,ることになり、前記三人は松森町紙漉とともに郡所支配から国産方支配になった。,文政五年(一八二二)、紙類などの国産物の生産が増大したことを国産方が藩主に報告するまでになった。  ,天保十年(一八三九)、国産方は廃止され、松森町紙漉は以前のとおり郡所支配になり、御用紙の漉き立てを下命
通史編3(近世2) (悪戸村における製陶)

「国日記」文政十年(一八二七)十二月二十四日条には、御留守居支配長尾惣兵衛が国産方(藩内の殖産興業や国産専売,以上の記録から、悪戸村での製陶は文化年間初期から始まり、文政年代(一八一八~一八二九)末には国産方により
通史編2(近世1) (乏しい国産品)

十九世紀には国産方と呼ばれる役人が郡方あるいは勘定方に配置されていたことは「国日記」等で確認されるが、
通史編3(近世2) (下川原における製陶)

同年四月に国産方による設置計画が出され、七月十五日条には、取り立てに当たった山田熊太郎(やまだくまたろう,天保十年(一八三九)には国産方が廃止になり、国産品(陶器もふくまれる)は郡所勘定所の取り扱いとなる。
通史編3(近世2) (瀬戸師林兵衛による製陶)

生産は当初、藩で自給自足を目指すとともに領内の産業振興のため国産方による方式をとったが、藩財政の窮迫のため,資金調達に事欠くにつれて、天保十年(一八三九)には国産方廃止となる。
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました