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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(特殊な地震(群発地震))
特殊な
地震
(群発
地震
) 群発
地震
は有感
地震
がたくさん発生するが、特に大きい
地震
もなく同じような大きさの,
地震
が続き、本震・余震の区別ができない場合の
地震
である。 ,昭和四十七年(一九七二)十二月に岩木山周辺を震源とした
地震
が群発した。,気象庁ではこれらの
地震
を「岩木山
地震
」と呼称した。 ,一九七六~一九七八)などがあるが現象的に弱い噴気または群発
地震
の発生などがあった。 / 特殊な
地震
(群発
地震
)
通史編1(自然・原始)
(津軽付近に震源のある地震(内陸地震))
津軽付近に震源のある
地震
(内陸
地震
) これらの
地震
の規模は、過去事例の推定最大M七・〇くらいと中規模,ところが
地震
規模の割合に大災害になった
地震
がある。おもな内陸
地震
に五例挙げられる。,○元禄七年(一六九四)…秋田県能代
地震
(推定M七・〇)…死者三九〇四人、津軽は強震。,○明和三年(一七六六)…津軽
地震
(推定M六・九)…………冬の積雪期のため大被害になる。,この中・小規模の内陸直下型
地震
の代表例は、明和三年の津軽中部
地震
である。 / 津軽付近に震源のある
地震
(内陸
地震
)
通史編1(自然・原始)
(日本海沿岸海域に震源のある地震)
日本海沿岸海域に震源のある
地震
巨大
地震
は、太平洋側の北海道から四国沖にかけて圧倒的に多く発生している,これに対し、内陸および日本海沿岸の
地震
は内陸型と呼ばれ、最大規模でもマグニチュード(記号M、
地震
の大きさを,ところが、昭和五十八年(一九八三)五月二十六日の日本海中部
地震
は、「M七・七」の大
地震
で、このため秋田,これら日本海の大
地震
は、ユーラシアプレート(岩盤)と北米プレートの境界近傍に発生した大
地震
とされている,(のしろ)沖
地震
、昭和十五年(一九四〇)積丹(しゃこたん)半島沖
地震
、昭和三十九年(一九六四)青森県西方沖
地震
/ 日本海沿岸海域に震源のある
地震
通史編1(自然・原始)
(津軽平野中央断層)
本断層の北延長部には一七六六年(明和三年)に発生した津軽
地震
(明和の大
地震
、マグニチュード七以上)の震源域,が位置しており、内陸型直下
地震
に関連する重要な断層と考えられる。
通史編1(自然・原始)
(《引用・参考文献》)
仙台管区気象台(一九六三) 『北海道の気候』 北海道産業気象協会(一九五二) 『青森県の
地震
通史編3(近世2)
(災害と生活)
○安政の大
地震
――「江戸日記」安政二年(一八五五)十月二日・五日・六日条、十月二日~十七日条。 ,十月二日午後九時半から十時ころにかけて大
地震
に襲われた。,「江戸日記」によれば、十七日まで毎日
地震
が記録されており、余震が続いていたことが知られる。
通史編1(自然・原始)
(三 津軽地方災害年表凡例)
被害項目は、主として社会的に影響が大きいと思われた現象を収録したが、被害が軽微であっても
地震
・噴火・竜巻
通史編1(自然・原始)
(第六節 引用・参考文献)
一九八六年 (9)日本気象協会 『気象FAXの利用法』 一九九四年 (10)青森地方気象台 『青森県の
地震
通史編3(近世2)
(非常時の服装)
非常時の服装 飢饉・火事・
地震
などの非常事態の際における服装については、男子が羽織を着用する時にはく
通史編3(近世2)
(城門番所の警備)
○町々に火事や
地震
などがあった時、藩士が登城する場合には武者屯(むしゃたむろ)に留めておき、番所で登城者
通史編1(自然・原始)
(発刊にあたって)
一例をあげると岩木火山や津軽地方の
地震
など、市民生活の身近な関心事にまとまった記述がなされている。
通史編1(自然・原始)
(まえがき)
部門から詳細に説き明かすとともに、さらに本州の北端という地理的位置のため寒冷な気候に悩まされ、時には
地震
通史編3(近世2)
(一一代順承の治世)
時期は、ペリー来航に代表されるように対外交渉が深刻な問題となったり、安政二年(一八五五)十月に江戸で大
地震
,こうした蝦夷地警備の負担は藩財政を極度に圧迫していったが、安政二年十月に起こった安政の大
地震
でも藩邸や
通史編1(古代・中世)
(農民の生活)
一つは永禄二年(一五五九)の年に
地震
や大雨、干ばつにより津軽地方の天候が不順となり飢饉となったというものである
通史編2(近世1)
(伏見指月城の普請)
この文禄四年の秀次事件から約一年後の慶長元年閏七月十二日深夜から十三日にかけて、近畿地方では大
地震
が起
通史編1(自然・原始)
(第二節 注記)
(2)岩屑なだれ…粘性の高いマグマの貫入による火山体の変形や水蒸気爆発、
地震
などが原因で、火山体の不安定
通史編2(近世1)
(幕末期の借財)
一八五五)には、蝦夷地の第二次幕領化により幕府から再び蝦夷地警備を命じられていたし、同年には江戸で安政
地震
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
これはこの年四月・五月に発生した大
地震
被害の復旧工事であった。,九月朔日にまたも発生した
地震
で再び石垣が崩れるなどの被害を被ったが、再び普請を再開し、十月に分担分の石垣
通史編2(近世1)
(弘前八幡宮の祈祷)
23 廻船海上無難祈祷 1 五穀成就祈祷 99 蝦夷地渡海安全祈祷 50 国家安全祈祷 22 その他(
地震
等
通史編3(近世2)
(人家の火災)
人家の火災 災害は水害、風・雪害、
地震
、噴火などの天災によるものと、火災のような主として人の不注意による
通史編2(近世1)
(意見書提出の奨励)
四〇年に及ぶ信寧の治世は、洪水や
地震
、さらには飢饉といった天変地異に悩まされ続けた時代であったが、先述
通史編3(近世2)
(江戸勤番と生活)
十九日、午前七時前に出番、午後三時すぎ強い
地震
。この時、藩主は本荘(ママ)の屋敷へ出かけて不在。,午前七時帰宅(十九日に
地震
があったので、上屋敷へ泊まったのであろうか)。
通史編2(近世1)
(安永期の蔵米化)
蔵米化 宝暦八年(一七五八)に、乳井貢は失脚し、宝暦改革も頓挫するが、藩の財政はその後も度重なる洪水・
地震
通史編2(近世1)
(災害の続発とその影響)
軒焼失 4月 7日 火災 板屋野木村(赤田組) 34軒焼失 7月
地震
,領内 群発
地震
元文 5(1740) 凶作・飢饉 領内 凶作は新田地帯・外浜に深刻な被害
通史編5(近・現代2)
([口絵])
昭和57年) 口絵74 第1回ひろさきマラソン(昭和57年) 口絵75 日本海中部
地震
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…はじめに・第1節〉)
複数のプレートが相互に水平に動くことによって、その境界部に生じる
地震
や火山活動などの構造運動をプレートテクトニクス
資料編1(考古編)
(〈用語の解説…第3節〉)
大洋側にはそれと平行して必ず細長い海溝があり、列島上には活火山が並び、その下には深さ70km以上の深発
地震
通史編2(近世1)
(茨木屋の苦悩)
その後、茨木屋は明和三年(一七六六)の
地震
、安永四年(一七七五)の甲州御手伝普請などに次々と融資を行っており
通史編1(古代・中世)
(阿倍比羅夫の登場)
写真27『大日本国
地震
之図』 のちに詳しく触れるように、平泉藤原氏の時代のころに、津軽地方は陸路
通史編2(近世1)
(正徳から天明にかけての大名課役)
このうち明和三年の際には、国元の大
地震
で甚大な被害を被ったことにより、幕府から普請役御免を命じられている
通史編4(近・現代1)
(アメリカに伝える禅の心)
しかもサンフランシスコ大
地震
が起き、さらに排日運動が起きて就職口がなくなり、ピストルとナイフの離せない
資料編1(古代・中世編)
([九世紀])
●承和六年(八三九)四月二十六日、陸奥国に災星、
地震
。百姓動揺により、胆沢・多賀城間を警備。
通史編1(自然・原始)
(新編 弘前市史 通史編1(自然・原始) 目次)
四 津軽の四季 …………………………………………………… 236 五 津軽地方に被害を及ぼした
地震
通史編2(近世1)
(伏見滞在と派閥抗争)
図39は、慶長元年の大
地震
後に築城された伏見木幡(こはた)山城とその城下町絵図である。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長五年(一六〇〇)六月十三日、津軽領、大
地震
。同十五日、岩木山南側焼け崩れるという。,●慶長九年(一六〇四)二月十一日、津軽地方、
地震
。,●寛永四年(一六二七)二月十日、津軽領内に強い
地震
起こる。,この日、津軽領大
地震
あり、岩木山鳴動し、降灰あり。,●承応二年(一六五三)十二月十八日、津軽領内大
地震
。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
…………………………… 続日本後紀 68 ●承和六年(八三九)四月二十六日、陸奥国に災星、
地震
。
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