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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (伏見築城と奥羽大名)

伏見城の普請は、関東や奥羽大名に対し、伏見城下への参勤と、伏見城普請への動員という二つの条件を大名に突,朝鮮侵略と伏見城普請とは、軍役の全国的な分担関係によって成り立っていたのである(中川和明「豊臣政権の城普請,『当代記』によれば、春から伏見城普請として日本の大名衆が上洛していることを記し、『太閤記』では二月初め,図28.安宅船復元模型  秋田氏は、すでに伏見城普請の材木を廻漕する以前の名護屋参陣中に材木の献上
通史編2(近世1) (一 伏見杉板の賦課)

翌文禄元年(一五九二)早々に関白の政庁としての聚楽第(じゅらくだい)を秀次に譲り渡し、自らの隠居のための城普請
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

消極的な意見を持つ重臣層がいる一方、信政の意向に忠実で城普請に積極的な人々もいた。,藩の支配層は、藩主に直結する出頭人グループ、城普請に消極的な門閥層(藩重臣)、桜庭が建白書でその存在を,指摘した困窮する藩士層に分かれ、このうち出頭人グループと門閥層が城普請をめぐって対立した。,この結果、城普請実現に向けての動きは加速し、十一月二十八日には、藩士に対する借り上げが強化された(「国日記,そして、城普請計画とそれに絡んで引き起こされた前年の政争がより危機的な状況を招き、家中窮乏と領内荒廃が
通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

意義 九戸一揆鎮圧後、しばらく浅野長吉や蒲生氏郷らの仕置軍は南部領に駐留し、逃散した百姓の帰村や九戸城普請
通史編2(近世1) (町役)

城下建設の時期に、町割りや城普請に人夫が大量に動員されたことが知られるが、成立期の城下での町役は、人足役
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

することにより、太閤蔵入地の代官職を遂行させるとともに、太閤蔵入地からの収益を利用して朝鮮出兵の軍船や伏見城普請用
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

しかし、伏見での「日本之つき合」の時点では、すでに朝鮮侵略が西国大名、伏見城普請が関東・奥羽の大名というように
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十八年(一六一三)十一月十八日、津軽信枚、幕府より越後高田城普請役を命ぜられる。,●慶長十九年(一六一四)四月十九日、津軽信枚、最上氏の臣出羽本城々主本城満茂へ、越後高田城普請赦免につき
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