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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(城門番所の警備)
城門
番所の警備 弘前城中は城下の中核であり、藩主の住居でもあるから、城中の諸門の警備には特に注意が払,寛文十年(一六七〇)五月二日に出された
城門
番所に対する訓令の大要を左に示すと、警備の厳重さが知られよう,○
城門
は暮六ツ(午後六時)に閉じるべきである。 /
城門
番所の警備
資料編3(近世編2)
(3 現存する天守・城門等の考察)
3 現存する天守・
城門
等の考察 四万五〇〇〇石で始まった弘前藩は、関ヶ原の戦いで東軍への加担により二,--重要文化財
城門
も、現存する以下の五棟がすべて重要文化財に指定されている。 ,丸東門 櫓門 銅瓦葺 北の郭北門 脇戸付き櫓門 銅瓦葺 弘前城の
城門
,これら現存する五棟の
城門
は、すべて築城当時のものとみられており、北ノ郭北門を除く四棟は、ほとんど同じ形式,いずれの
城門
も、入母屋造で四方に腰屋根を付けた櫓門の形式であり、建揚げが高いことなどが特徴として挙げられる / 3 現存する天守・
城門
等の考察
通史編2(近世1)
(正徳から天明にかけての大名課役)
その内容をみると、寺社普請が二度、江戸城
城門
普請が一度、河川普請が二度である。,図51.江戸城主要
城門
表6 江戸
城門
番の格と人数 番号 門 格 人数(人) 給人 侍 足軽
通史編4(近・現代1)
(城跡の荒廃)
しかし、弘前藩は維新の際勤王派に属したために、処置も穏やかで、本丸と武芸所を取り壊しただけで、
城門
や矢倉
通史編3(近世2)
(瓦の利用)
「国日記」によると、本城(本丸)の御殿と各蔵、二・三・四各丸の
城門
計五ヵ所、二の丸瓦馬屋・太鼓櫓・腰掛,各丸の
城門
については二の丸の南門(現南内門)と東門(現東内門)、三の丸の南門(大手門とも表記。
通史編2(近世1)
(意見書提出の奨励)
この方針により、「受言函(じゅげんばこ)」が江戸藩邸および弘前
城門
に設置されたという(『津軽藩史』東北産業経済史第五巻
通史編1(古代・中世)
(陸奥国と出羽国)
たちも、和銅三年(七一〇)正月元日に、大和の藤原京の大極殿(だいごくでん)で行われた朝賀の儀に際して、皇
城門
通史編3(近世2)
(勤務の状況)
年頭・節句・御礼日には組頭(くみがしら)より歩行(かち)まで
城門
番所へ詰め、御礼が終わったならば、目付
通史編3(近世2)
(一〇代信順の治世)
また、国元でもこの間
城門
の大扉(おおとびら)は閉ざされ、くぐり戸から出入りすることとされた。
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
其頃、石碑ヲ
城門
ノ前ニ建テ去蝦夷国界一百二十里ト記シテ今ノ桃生郡ノ辺ヨリ南ヲ日本ノ地トシ北ヲ蝦夷地ト定
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
入口(虎口B)の部分は、現在では公園造成のため破壊され、旧状は不明だが、おそらく「喰違い」が設けられ、
城門
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