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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(支城の城館跡)
支城の
城館跡
支城は領域支配の拠点的な城館に付随する形で築かれる
城館跡
で、東目屋地区の国吉館跡(写真,関惣右衛門は「十二人屋形城衆」の中の「城代」とされていることから、国吉館跡が大浦城周辺の中世
城館跡
の中,さらにその武者溜を通り北側の丘陵地上部に
城館跡
らしき遺構もみられ、地元の人によると「山伏館(やまぶしだて,そのようなことから国吉館跡は支城でもかなり重要な本城的な性格を有していた
城館跡
であった可能性があるといえる,福村古館跡は、曲輪が三つの平場から構成されており、県内で一般的にみられる家臣居住型
城館跡
であると考えられるが / 支城の
城館跡
通史編1(古代・中世)
(その他の城館跡)
その他の
城館跡
当市域内には、これらの
城館跡
に属さない城館も存在している。,西北域の船沢(ふなざわ)地域にも、
城館跡
の築城年代はもとより、館跡の由来・沿革がまったく不明なものなどがそれに,の板碑群が五一基(公卿塚(くぎょうづか)六基・石仏(せきぶつ)四十五基)あることなどから、中世前期の
城館跡
,中崎館遺跡)や、一五世紀から一六世紀にかけて使われた境関(さかいぜき)館跡(境関館遺跡)など、戦国時代以前の
城館跡
/ その他の
城館跡
通史編1(古代・中世)
(本城(根城)の城館跡)
本城(根城)の
城館跡
当市域内にある
城館跡
で、領国支配の拠点的性格をもった戦国期の
城館跡
としては石川城跡,これらの
城館跡
は、はじめから領国支配をすることを目的に築かれた城館である。,その他、当市域外ではあるが津軽氏に関係する
城館跡
としては、鯵ヶ沢町の種里城跡や岩木町の大浦城跡なども挙,これらの
城館跡
を拠点として津軽領国の統一が行われていくことになるのである。 / 本城(根城)の
城館跡
通史編1(古代・中世)
(詰城の城館跡)
詰城の
城館跡
詰城としては、乳井茶臼館跡(写真212)や乳井古館跡、笹館跡、隣接町村では相馬村の湯口茶臼館跡 / 詰城の
城館跡
通史編1(古代・中世)
(大浦城築城以前の城館跡)
大浦城築城以前の
城館跡
大浦城が築城される以前の大浦城周辺では、新岡(にいおか)地域を中心とした城館,現在までに新岡地域で確認されていた
城館跡
は上新岡(かみにいおか)館跡と下新岡(しもにいおか)館跡、八幡,結果下、新岡館跡と八幡館跡の中間に位置する小高い丘陵地、現在は愛宕(あたご)神社が建立されている地点にも
城館跡
,これらの上新岡館・下新岡館跡の周辺の
城館跡
は、大浦氏が入ってきたことにより消滅したのか、あるいは一部の,
城館跡
は吸収されていったものかは不明であるが、いずれにしても戦国時代以前にすでに新岡地域に開発の手が及 / 大浦城築城以前の
城館跡
通史編1(古代・中世)
(東目屋地域に見られる城館跡)
東目屋地域に見られる
城館跡
大浦城跡から西側に当たる岩木山麓から目屋地区にかけての地域は、西浜と津軽平野,そのようなことを念頭に入れながら東目屋地区の
城館跡
についてみていくと、注目されるのが「十二人屋形城衆」,によると、東目屋地区には少なくとも桜庭(さくらば)・国吉・黒土(くろつち)・中畑(なかはた)の四つの
城館跡
/ 東目屋地域に見られる
城館跡
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
二 本章で取り上げる中世
城館跡
青森県では、昭和五十五~五十七年度に、青森県教育委員会によって中世城館,この二つの調査で確認された弘前市内の中世
城館跡
は、次の四五か所を数える(AあるいはBのみに記載されるもの,しかし、限られた時間の中で、これら五〇を超える
城館跡
を調査することは不可能であった。,こうした基準から、本章で取り上げた中世
城館跡
は次の五つである。 ,図1 弘前市内の中世
城館跡
最後に、掲載図面について説明する。 / 二 本章で取り上げる中世
城館跡
通史編1(古代・中世)
(大浦氏関係の中世城館跡)
大浦氏関係の中世
城館跡
鯵ヶ沢町種里城跡や岩木町大浦城跡などは開発に伴う発掘調査が行われている。 / 大浦氏関係の中世
城館跡
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
そのような視点でみると、まず広い領域を支配するために造られた、「領主居住型
城館跡
」ともいえる拠点的性格,これらの領域支配を目的として作られた
城館跡
の特徴は、大きく二つのタイプがみられる。,またこのタイプの
城館跡
が北奥羽地方ではもっとも多く存在している。,以上、これらの
城館跡
はどちらかというと公的な性格が強い城館の特徴である。 ,そのほか「湊」や「津」、「泊」などを支配したり監視するために作られた
城館跡
もみられる。
資料編1(考古編)
([付図])
ヶ袋
城館跡
歴史 02031 黒土館遺跡 弘前市大字黒土
城館跡
・包含地 歴史 02032 番館遺跡,弘前市大字和徳
城館跡
・包含地 平安 02050 八幡館(1)遺跡 弘前市大字八幡舘
城館跡
平安,宮館 弘前市大字宮舘字宮舘沢
城館跡
歴史 02094 折笠館 弘前市大字折笠字宮川
城館跡
歴史,船水館 弘前市大字船水字横船
城館跡
歴史 02101 藤代館 弘前市大字藤代一丁目
城館跡
歴史,
城館跡
歴史 02106 乳井茶臼館 弘前市大字乳井字古堂
城館跡
歴史 02107 小栗山館遺跡
通史編1(古代・中世)
([付図])
縄文・平安 23 高野館遺跡 国古字耕田28ほか 山林・畑 包蔵地・
城館跡
縄文・平安・中世 24,2の14ほか 宅地 包蔵地・祭祀跡 平安 46 薬師堂元宮遺跡 薬師堂字南熊沢 境内・山地
城館跡
〃,・散布地 縄文・平安 50 八幡舘(1)遺跡 乳井字沢田 畑
城館跡
平安 51 八幡舘(2)遺跡 ,〃 茶臼館・古堂 〃 包蔵地 縄文 52 大舘山遺跡 乳井字沢田ほか 山林
城館跡
・散布地 縄文・平安,平安 89 種市舘 種市 畑
城館跡
歴史 90 高杉舘 高杉字尾上山 〃
城館跡
・包蔵地 縄文・平安
資料編1(古代・中世編)
(二 各城館の位置)
二 各城館の位置 しかしながら、これら東目屋の中世
城館跡
については、沼舘愛三『津軽諸城の研究』・青森県教育委員会,中世城館』・弘前市教育委員会『弘前の文化財-古城郭』などで紹介されているものの、比定地が異なったり、
城館跡
,そこで、最初に、以上三つの研究で紹介された
城館跡
について、「弘前市文化財位置図」(弘前市教育委員会)などを,したがって、この遺構が
城館跡
であるのか、街道の要所を押さえる関所のような施設なのかについては、結論が出,ただ、地名から
城館跡
の存在は十分想定されるので、今後の調査課題である。
通史編1(古代・中世)
((五)発掘調査から見た遺跡)
当市域においては石川城跡の内館部分や福村城跡の堀跡が発掘調査され、また大浦氏に関係した
城館跡
としては、,合戦の舞台として登場してくる平賀町大光寺新城跡、藤崎町藤崎城跡なども開発に伴う緊急発掘調査が行われ、
城館跡
資料編1(考古編)
(〈建物跡の発見される遺跡〉)
〈建物跡の発見される遺跡〉 (1)
城館跡
礎石建物跡・掘立柱建物跡・竪穴建物跡 (2)集落跡 掘立柱建物跡
資料編1(古代・中世編)
(一 はじめに)
一 はじめに 本章は、弘前市内とその周辺にある主な中世
城館跡
を取り上げ、遺構の現状と過去、及び構造や,現在、弘前市内には四〇を超える中世
城館跡
が確認されている。,それだけに、現在も各地に残る中世の
城館跡
は、板碑・五輪塔などの金石文資料や、考古学的な出土遺物・遺跡とともに,実は、これら中世の
城館跡
については、藩政時代から関心が寄せられ、所在地・城主及び興廃について多くの研究,中世の
城館跡
を調査・記録し、歴史資料として提供することは、この観点からも、今日、急務となっている。
通史編1(古代・中世)
(堀越城・石川城を中心とした城館群)
乳井城跡・乳井古館跡、北側に位置するものでは平賀町の大光寺新城跡や沖館城跡・高畑城跡・新館城跡などの
城館跡
,石川城は、現在の当市域の中心地からかなり南に位置しているが、このように石川地域を中心として見た時には
城館跡
,これらの個々の
城館跡
はいくつかの城館群ネットワークによって構成されていることが考えられ、城館の築城構造,現地踏査や昭和六十年(一九八五)の発掘調査では中世の遺物や竪穴土壙(どこう)などが確認されているが、
城館跡
,石川城跡の南側に造られた城館群の大きな特徴としては、交通の要衝地、あるいは領国の境目といった重要な地に
城館跡
通史編1(古代・中世)
(枝城・端城の城跡)
枝城・端城の城跡 支城よりも規模が小さく、なおかつ
城館跡
としての性格を有するものが枝城であり、端城である,当市域内で枝城・端城と考えられる
城館跡
としては、宮館跡や、小沢(こざわ)館跡、東目屋地域に所在する高野
通史編1(古代・中世)
(文献史料から見た戦国動乱の激化)
このような構造の
城館跡
は、県内で見られる中世
城館跡
の中では特異な構造であるといえる。,合戦が激しく繰り返し行なわれ、それらの合戦の舞台となったのがそれぞれの領地を統括する拠点としていた中世
城館跡
,図66 戦国時代の代表的な
城館跡
配置図
通史編1(古代・中世)
(方形居館跡)
方形居館跡 津軽地方で比較的多く見られる
城館跡
に、堀を方形に設けた方形居館跡がみられる。
通史編1(古代・中世)
(種里城を中心とした城館群)
種里城跡周辺航空写真 図67 種里城と周辺の城館群(50,000分の1) これらの
城館跡
,種里城と日本海との中間で、日本海側を望むことができる地点に位置していることから、何らかの役割をもった
城館跡
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
キロメートル、中津軽郡岩木町五代字早稲田(旧門前村)にあり、同町賀田(よした)集落の西端に接する大規模な
城館跡
資料編1(古代・中世編)
(一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)
東目屋地区の中世城館と領主の歴史 弘前市の飛地となっている東目屋地区には、規模は小さいが数多くの中世
城館跡
資料編1(古代・中世編)
(一 乳井茶臼館の立地と現状)
乳井茶臼館跡の遠景 北西側より撮影 南西側より撮影 図45 乳井茶臼館跡周辺の
城館跡
位置図
通史編2(近世1)
(大浦城の構造)
キロメートル、中津軽郡岩木町五代(ごだい)字早稲田(旧門前村)にあり、同町賀田集落の西端に接する大規模な
城館跡
通史編1(古代・中世)
(中世の農民)
つがるの)・豊内(とよない)・青女子(あをなこ)・野端(のき)・遠寺(とうし)内を除いた村には、それぞれ
城館跡
資料編1(古代・中世編)
((3)城館の構造)
現時点では調査不十分だが、国吉館跡北側の丘陵上部に
城館跡
らしき遺構があり、「山伏館」と呼ばれていることから
資料編1(古代・中世編)
(五 東目屋地区の中世城館の特徴)
五 東目屋地区の中世城館の特徴 一、二でも述べたように、東目屋地区は弘前市内でも特に中世
城館跡
が密集
通史編1(古代・中世)
(種里城と町)
種里城跡は現在でも中世
城館跡
の面影を色濃く残している。
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
主曲輪と副曲輪を含めて考えると全体の大きさは、およそ三六〇メートル×八〇〇メートルと県内の
城館跡
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
なお、本遺跡周辺には中世
城館跡
が多く存在し、また、正応元年(1288年)などの年号や源光氏などの氏名の
資料編1(古代・中世編)
([付図])
板碑 番号は,資料編1「古代・中世編」第4章の板碑一覧と対応 弘前市及び周辺の中世
城館跡
資料編1(古代・中世編)
(新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)
一 はじめに………………………………………………………… 四二八 二 本章で取り上げる中世
城館跡
, 青森1~2 種子一覧 参考文献 〈付図〉弘前市及び周辺の中世
城館跡
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
八戸市埋蔵文化財調査報告書第6集) 1982年 26) 佐々木達夫 「遺跡出土陶磁器の研究-北日本中世
城館跡
,日本海の陶磁交易」(日本海文化8号) 1981年 佐々木達夫 「遺跡出土陶磁器の研究-北日本中世
城館跡
通史編1(古代・中世)
(新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)
三 大浦為信と安藤愛季 ……………………………………… 453 四 戦国期津軽の農村と都市と
城館跡
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