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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(古代・中世編)
((1) 南北朝時代の「堀越楯」)
(1) 南北朝時代の「
堀越楯
」 堀越城の名が初めて文献に見えるのは、南北朝時代、建武三年(南延元元年,津軽における南北両党の合戦はその後も続き、十四世紀後半に津軽曽我氏は南部氏によって滅ぼされるが、「
堀越楯
,南北朝時代の「
堀越楯
」の実体については不明だが、一九七六~七七年、国道七号石川バイパス建設に伴う緊急調査,断定はできないが、このうち最も古い時期の堀が「
堀越楯
」のものである可能性がある。,その場合、堀の発見された場所が平川寄りの東の地区であることから考えて、当初の
堀越楯
は平川沿いの段丘状の / (1) 南北朝時代の「
堀越楯
」
通史編1(古代・中世)
(南北朝の動乱と曽我氏)
孫三郎のよる小栗山(こぐりやま)楯を襲い奮戦し、六月には田舎楯を攻め、七月には新たに新里(にさと)楯・
堀越楯
資料編1(古代・中世編)
(一 はじめに)
十四世紀半ばの南北朝動乱時代、弘前周辺では南北両党の激戦が繰り広げられ、大光寺楯・石川楯・船水楯・新里楯・
堀越楯
資料編1(古代・中世編)
(新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)
二 堀越城の歴史…………………………………………………… 四八八 (1) 南北朝時代の「
堀越楯
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