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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(塗師の知恵が支えた漆芸)
塗師
の知恵が支えた漆芸 漆工技術の面では、年代を重ねることで蒔絵や変わり塗の技法が上達・進歩し、美術的,そのため津軽の
塗師
たちは、限られた条件の中で漆器を作らなければならなかった。,これらの漆器には、時代の流れに合うものを作ろうとした創作意欲や創造性が感じられ、その技法には
塗師
たちの,(中略)
塗師
三人あり。銘々流儀ありて少しずつの違いあり、就中、青海屋源兵衛を上手とす。 /
塗師
の知恵が支えた漆芸
通史編3(近世2)
(他領から技術を導入)
また、貞享三年(一六八六)の「町支配知行取由緒書職」(前掲『津軽塗』)に
塗師
として岩崎明右衛門・野里村作左衛門,あおなごむら)専助・佐藤吉左衛門・池田源兵衛・清五郎のほか蒔絵師・六右衛門ら当時の職人の名があり、そのなかの
塗師
頭岩崎明右衛門,このように、近世初期の津軽の漆工芸は、秋田の鞘師、京都の
塗師
、江戸の具足師の移入によって興ったもので、,についてみると、大工六三、鞘師一二、紺屋一四〇、たばこつくり三二など、約三〇種、四六〇軒ほどの居住者がいるが、
塗師
,しかし絵図には、四の郭(北の郭)に
塗師
場、作事場、普請場が描かれているので、この
塗師
場で岩崎明右衛門、
通史編3(近世2)
(変わり塗と池田源兵衛)
池田源兵衛が津軽へ来たころの小浜藩の
塗師
たちは、変わり塗技法(色漆を塗り重ね、研ぎ出して平滑に仕上げる,小浜市の妙楽寺には、小浜藩の
塗師
三十郎が変わり塗技法で塗った文庫や硯箱が収蔵され、寛文元年(一六六一),父源兵衛と同じころに招かれていた
塗師
の扶持料は、大野山六郎左衛門が金七両五人扶持、大江宇右衛門が金八両五人扶持,それがのちに
塗師
頭となり、津軽における漆工の主流を占めるようになった理由は、江戸での八年間の修業で、他,の
塗師
たちを圧倒する当時の最先端技法であった変わり塗を身につけてきたからである。
通史編3(近世2)
(江戸後期の漆工芸)
そこに
塗師
個人の感性、創造性が活かされる余地が残されてある。,研ぎ出し変わり塗によるもので、この技法は時間がかかり、苦労が多く、熟練した技が要求されるので、お抱え
塗師
,この「いろいろ塗五段重」を塗った三浦亀次郎は、武器
塗師
三浦久次郎の子である。,前掲『津軽塗』の国日記方分限帳に、津軽の
塗師
のことが書かれている。,具足
塗師
青海源助は、文政七年(一八二四)十二月二十八日、帯刀が許可された。
資料編3(近世編2)
(三 工芸・津軽塗)
三 工芸・津軽塗 (一)塗物の生産と技術 (二)進物・献上品としての津軽塗 (三)
塗師
通史編3(近世2)
(黒塗、朱塗、蒔絵に加わった変わり塗)
特にこの記事は三人の
塗師
に二〇個ずつのたばこ入れを変わり塗と無地塗という異なった技法で塗らせ、
塗師
の技量,
塗師
は、漆工品作りのほか、大工職、鳶職らと寺社の建築塗装にもかかわりを持っていた。 ,の霊屋補修に必要な絵の具(本朱、膠、刷毛など)を要求し(「国日記」宝暦三年七月十五日条)、三ヵ月後、
塗師
小頭青海源兵衛
通史編3(近世2)
(江戸から明治初期への漆工芸)
江戸から明治初期への漆工芸 お抱え
塗師
青海源兵衛の弟子のなかに成田伊太郎(文政十一年~明治二十二年・,天保十一年(一八四〇)、伊太郎は、青海源兵衛の弟子となり、一〇余年の修業で秘伝の技法も習得してお抱え
塗師
,お抱え
塗師
青海源兵衛は、博覧会に出品するというかたちで新体制に調和していった。
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
このほか、魚荷売が七人、研屋(とぎや)が一〇人、金具屋が五人、
塗師
(ぬし)屋が一〇人、畳刺が一三人いた,また、
塗師
屋の中に津軽塗の祖といわれる池田源兵衛の名前がみえるのは注目される。 ,御役職人(藩に営業税を納める職人)は二八職種に分類され、この内、研屋・鞘師・
塗師
・経師(きょうじ)・筆師,備 考 御 役 職 人 鑓屋 1 研屋 5 内 御用研屋3軒 鞘師 9 内 御用鞘師2軒
塗師
,御役職人は一九職種に減り、藩の御用を勤めるのは、研屋・鞘師・
塗師
・金具師の四種は寛政期と変わらないが、
通史編3(近世2)
(江戸中期の漆工芸)
炊く香炉、丁子(ちょうじ)・麝香(じゃこう)・白檀(びゃくだん)などを入れておく香箱などが使用され、
塗師
,やがて生活に密着したたばこ入れやたばこ盆も盛んに塗られ、それが多くの人の目に触れるようになると、
塗師
の
通史編3(近世2)
(津軽における漆工芸の起点)
藩政成立期ころの漆工芸は、藩主が召し抱えた
塗師
(ぬし)や蒔絵師(まきえし)が、藩主の調度の製作、武具・,漆工技術の高さを知り、その技術移入と漆産業育成の必要から大野山六郎左衛門、大江宇右衛門、池田源兵衛らの
塗師
通史編1(古代・中世)
(食の道具)
)の素材が検出されるなど、木地師(きじし)の集団が存在したことは明らかであるが、中世段階では木地師・
塗師
,最近浪岡城の遺物を再検討していたら漆ベラが三点ほど発見され、城内に
塗師
が存在したことは確実となった。
通史編2(近世1)
(諸役と運上)
このほかにも、
塗師
(ぬし)・鍛冶・桶屋・畳屋などの職人に対する役銀も、多くは同年に定められた。 ,研師、鞘師、
塗師
などには藩抱えの御用師がいた。
通史編3(近世2)
(信政の文治)
このほかにも紙漉(かみすき)師、蒔絵(まきえ)師、養蚕織物師、金具(かなぐ)師、鋳物(いもの)師、
塗師
通史編2(近世1)
(野本道玄の招聘)
新井吉兵衛,熊谷吉兵衛 金具師 正阿弥儀右衛門 鋳物師 釜屋嘉兵衛,渡辺近江 蒔絵師 山野井四郎右衛門
塗師
通史編3(近世2)
(宗教と交通統制の低下)
記録には囲碁・将棋師、俳諧・書画の遊芸者、料理人・医師・経師(きょうじ)(表具師)・
塗師
・織師・浄瑠璃語
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
50俵 30俵 2人 御金具屋 30俵2人扶持 30俵(2人) 3人 御鞘師 25俵 1人 御
塗師
資料編3(近世編2)
(【解説】)
内容は、一、塗物の生産と技術、二、進物・献上品としての津軽塗、三、
塗師
の三項に分け、主として、「弘前藩庁日記
通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
藩は当初蝋燭の原材料としての漆を重要視したが、貞享から元禄年間にかけて、藩の御抱
塗師
である池田源兵衛・
通史編3(近世2)
(諸役と仲間)
石屋・山師・金掘り・蕎麦(そば)屋・檜物屋・餌差(えさし)・革屋・左官・鞘師(さやし)・飾屋・豆腐屋・
塗師
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
(二)進物・献上品としての津軽塗 ……………………………………………………… 九八五 (三)
塗師
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