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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(1.境関館遺跡)
境関館
遺跡航空写真(1979・11・12撮影) 図101
境関館
遺跡の地形 図102,図103
境関館
遺跡 掘立柱建物跡配置の変遷 図104
境関館
遺跡 SB01掘立柱建物跡の構造,カラー図6
境関館
遺跡出土陶磁器(1) 1~6青磁(表裏) カラー図7
境関館
遺跡出土陶磁器,図111
境関館
遺跡出土鉄製品(2) 図112
境関館
遺跡出土鉄製品(3) 〔銅製品〕,図113
境関館
遺跡出土銅製品 図113付表
境関館
遺跡出土銅製品観察表 番号 出土地区 層位 / 1.
境関館
遺跡
通史編1(古代・中世)
(農の道具)
中崎館では鍬先や鎌、
境関館
では鎌、堀越城では鍬の木製柄の部分や横杵(よこきね)(砧(きぬた))・槌(つち,
境関館
で出土した鎌には直線刃のタイプが一点(図53-1)と曲線刃のタイプが二点(図53-2・3)出土しており,鎌を研ぐ砥石は、面が曲線状にえぐれた状態になることからわかりやすく、
境関館
では約半数がこの手の砥石である,図53
境関館
出土の鎌と砥石
通史編1(古代・中世)
(衣の道具)
境関館
では一一点の出土があり、日常的に繊維を取り出す作業が行われていた。 ,とくに現代まで使われている円盤の部分が木製の紡錘車は、
境関館
の井戸跡から中世遺物とともに出土したことによって,図52 苧引金と紡錘車
境関館
出土品 履き物としての下駄は出土が多い。,
境関館
ではみられなかったが、堀越城では文様の施された製品や差歯になった下駄(写真176)、さらに独狐(
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
図101
境関館
遺跡の地形 図102
境関館
遺跡の概要 図103
境関館
遺跡掘立柱建物跡配置の,図110
境関館
遺跡出土鉄製品(1) 図111
境関館
遺跡出土鉄製品(2) 図112
境関館
遺跡出土鉄製品,(3) 図113
境関館
遺跡出土銅製品(付表
境関館
遺跡出土銅製品観察表) 図114
境関館
遺跡出土,の茶臼と粉挽臼 図115
境関館
遺跡出土の硯・温石・砥石 図116
境関館
遺跡3号井戸出土銭貨(1,図119
境関館
遺跡出土木製品(2) 図120
境関館
遺跡の区画変遷図 図121
境関館
遺跡の遺構変遷図
通史編1(古代・中世)
(住の道具)
最も多いのは釘であり、
境関館
でも四一本出土し、形態的には断面が角型を呈し、釘で鍛冶鍛錬によって一個一個製作,
境関館
では七四点の出土があり、安山岩・凝灰岩・頁岩の製品が認められ、荒砥(あらと)・仕上げ砥の区別がなされている,出土は当然大工が存在した証拠でもあり、大工道具が出土すること自体稀(まれ)な事例であることを考えると、
境関館
,ただ、最近まで民俗事例として残っていた松ヤニなどの油を燃やす「シデバチ」といわれる石製の鉢は
境関館
や浪岡城,その際の道具としては鉈(なた)のような道具が必要であり、
境関館
からも一点だけ出土している。
通史編1(古代・中世)
(湊の最盛期)
このことを、弘前市域の
境関館
と比較したのが図45である。,
境関館
の場合、中国産陶磁器の比率は十三湊と変わりないのに、国産陶器のなかでは珠洲が多く、瀬戸に関しては,これは同時代の青森市尻八館(しりはちだて)でも同様の傾向を有していることから、実際に
境関館
の瀬戸の出土,図45 十三湊と
境関館
の出土陶磁器比率の比較 (外側は十三湊,内側は
境関館
) このような瀬戸製品
通史編1(古代・中世)
(調査された館)
をはじめ石川城(楯)(写真178)・福村城(写真179)・小友館・荼毘(だび)館・独狐(とっこ)館・
境関館
, しかしながら、発掘面積は少なく、明確に中世段階の生活痕を確認した調査は、中崎館・荼毘館・独狐館・
境関館
通史編1(古代・中世)
(三 中世の道具と生産)
弘前市
境関館
遺跡の井戸跡(SE〇三)から出土した鉄鋌(てい)状鉄製品(図50)は、これまで遺跡の出土例,図50
境関館
出土の鉄鋌(左) 写真173 浪岡城の鉄鋌(右) このような鉄生産にかかわる事例,以下、中世の場合、遺跡調査が城館に偏っている面はあるものの、
境関館
遺跡を中心として具体的出土遺物からみた
資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
また、土師器甕の一部には「北陸型甕」と称される丸底で外面叩き成形したものも弘前市
境関館
遺跡や尾上町李平下安原遺跡,図121
境関館
遺跡に搬入された北陸産の須恵器 また、鉄生産もこの地域ではまだ行われておらず、,また、津軽平野や外ケ浜に展開する浪岡城内館遺跡(浪岡町)や
境関館
遺跡(弘前市)、あるいは内真部遺跡(青森市,一方、中国製磁器は白磁の碗・皿類(蓬田大館・浪岡城・
境関館
・十三湊・内真部・中崎館)、四耳壺(浪岡城内館,)があり、また、青磁の碗・皿類(
境関館
・中崎館・蓬田大館)もある。
通史編1(古代・中世)
(食の道具)
境関館
では大部分は珠洲(すず)の擂鉢であり、擂鉢によって砕く・擂り卸す・こねるという作業から得られる食物,(8は弘前市堀越城跡,他は弘前市
境関館
出土) このように粉食ともいえる食生活は、石製の粉挽き臼,
境関館
でも出土している粉挽き臼は、つい最近まで農家の板の間で回されていたものとほとんど同じである。
通史編1(古代・中世)
(鍛冶・鋳物師の道具)
生産される製品として、前述した衣・住・農に関連した道具のほか、武具の生産が盛んになるようで、
境関館
では,そして、これらの素材鉄として
境関館
出土の鉄鋌状鉄製品が重要な意味を持ってくる。
資料編1(考古編)
(7.陶磁器の組成)
境関館
でも、13・14世紀の陶磁器が認められるものの、主体は15世紀代の陶磁器であることから、しだいに,表3 青森県内遺跡出土陶磁器数(破片により集計) 中崎館 荼毘館
境関館
独狐 遺跡 堀越城 尻八館,0 8 407 464 22 39 かわらけ 160 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ※浪岡城・
境関館
出土
通史編1(古代・中世)
(北日本の地域差)
志苔館は青磁・白磁の食膳具が大部分で調理・貯蔵といった長期間の生活形態を示す陶磁器が少ないのに対し、
境関館
,
境関館
の組成は城館の有する政治的儀礼もさることながら、集落的な日常生活の痕跡が色濃く反映している組成とみたい
資料編1(考古編)
(4.15世紀の様相)
中里町中里城跡、青森市尻八館遺跡・油川城跡、蓬田村蓬田大館遺跡、浪岡町浪岡城跡、平賀町大光寺城跡、弘前市
境関館
跡,詳細は第5章の
境関館
出土陶磁器を参照願いたい。
通史編1(古代・中世)
(城館発掘の成果)
板碑に関連していえば、荼毘館と
境関館
からは土の中に埋もれていた板碑が発掘調査によって発見されている(写真,写真180
境関館
の板碑 図58 荼毘館の板碑 独狐館からは中世陶磁器が出土し、古い
通史編1(古代・中世)
(その他の城館跡)
らかとなった中崎(なかさき)館跡(中崎館遺跡)や、一五世紀から一六世紀にかけて使われた境関(さかいぜき)館跡(
境関館
遺跡
資料編1(考古編)
(2.13世紀の様相)
破片としては浪岡城跡や根城跡、
境関館
跡、大光寺城跡から瀬戸瓶子や青磁鎬蓮弁文碗・梅瓶、白磁口禿碗・皿などが
通史編1(古代・中世)
(戦いの道具)
境関館
で出土している小柄(こづか)は、刀の附属品として刀装具に属し、鉄鏃は弓矢の一部品であり、攻撃の武具
資料編1(考古編)
(3.14世紀の様相)
3.14世紀の様相 この時期になると青磁の出土量が多くなり、尻八館や
境関館
の出土陶磁器の組み合わせからすると
通史編1(古代・中世)
(地方色を顕す古代の津軽地方)
一二世紀中葉から後半の遺跡の大半は津軽地方に集中し、弘前市
境関館
遺跡・浪岡城内館跡・青森市内真部(うちまっぺ
資料編1(考古編)
(第3節 中世・近世の住居と集落)
63 荼毘館跡 弘前市 13,14,15 掘立 城館 64
境関館
跡 弘前市 15 掘立・竪穴 城館
資料編1(考古編)
((4)12世紀代)
この時代の本県の遺跡は、青森市内真部(うちまっぺ)遺跡、弘前市
境関館
遺跡、浪岡城内館跡、市浦村十三湊遺跡
資料編1(古代・中世編)
(参考文献(第四章に関連する主要文献・論文-各節の文中で記述したものは除く))
22)青森県教育委員会「独狐遺跡」(青森県埋蔵文化財調査報告書99集) (23)青森県教育委員会「
境関館
遺跡
資料編1(古代・中世編)
([付図])
弘前市乳井字外ノ沢 乳井神社墓地 25~29 弘前市薬師堂字熊本 愛宕神社境内 30 弘前市境関字富岳
境関館
跡,和泉館 14 町田館 79 堂野前館 15 船水館 80 黒石城 16 藤代館 81 垂柳館 17
境関館
資料編1(古代・中世編)
((1) 南北朝時代の「堀越楯」)
されたものであり、西に堀を掘って曲輪を設け、さらに東西に走る堀で内部をいくつかに区分するという、同じ弘前市内の
境関館
通史編1(古代・中世)
(埋納銭の出現)
、宗教的な観点から意図的に埋めたと考えられる事例もあるが、中崎館・荼毘館・独狐遺跡などの発見事例は、
境関館
遺跡,写真86 弘前市
境関館
井戸跡出土の銭貨 そのことを特徴的に示す銭貨出土状態が一括埋納(まいのう
資料編1(考古編)
(〈地域的な差〉)
13世紀になると、
境関館
検出の掘立柱建物以外に明確な掘立柱建物跡は少なくなり、板留(2)遺跡のような竪穴建物跡
通史編1(古代・中世)
(舶載と国産)
舶載と国産 一四世紀後半から一五世紀の状況は、弘前市内の
境関館
や、尻八館(青森市)・志苔(しのり)館
通史編1(古代・中世)
(本州の擦文文化の実態)
早稲田遺跡の竪穴住居跡、焼土遺構、溝跡、一一世紀代を主体とする荼毘館(だびだて)遺跡第一〇一号竪穴住居跡や
境関館
遺跡
資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
擦文土器出土遺跡一覧(左右ページ対応) 番号 遺跡名 所在地 遺跡の種類 出土遺物 伴出遺物 時期 備考 1
境関館
遺跡
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
13,14,15 陶磁器・他 48 63 荼毘館跡 弘前市 13,14,15 陶磁器 57 64
境関館
跡
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
金属製品 金属器の出土の特色は、数の多さと特異な出土状況にあり、素材鉄(鉄鋌(てい))の出土も顕著で、
境関館
,発掘面積 鉄製品の出土数 1m2あたり出土数 中崎館遺跡 2,730m2 45 0.016
境関館
跡
資料編1(古代・中世編)
(弘前1~133)
弘前市薬師堂字熊本-愛宕神社境内- 弘前29 弘前市薬師堂字熊本-愛宕神社境内- 弘前30 弘前市境関字富岳-
境関館
跡
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
史跡浪岡城跡環境整備基本構想』1984年 浪岡町教育委員会刊・『青森県埋蔵文化財調査報告書第102集
境関館
遺跡, 浜通遺跡』1984年 青森県埋蔵文化財調査センター刊 図58 『青森県埋蔵文化財報告書第102集
境関館
遺跡発掘調査報告書
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
荒川正明 「蓬田大館遺跡」(早稲田大学文学部考古学研究室報告) 1987年 51) 青森県教育委員会 『
境関館
遺跡,・ほか 『独狐遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第99集) 1986年 *31 赤平智尚・ほか 『
境関館
遺跡
資料編1(古代・中世編)
(二 本章で取り上げる中世城館跡)
(4)豊田地区 ⑰
境関館
(日野間館、境関字富岳)、⑱福村古館(福村館、福村字俵元)、⑲福村城(福村字新館添
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
独狐遺跡*30、
境関館
遺跡*31、荼毘館遺跡*32、中崎館遺跡*33、野脇遺跡*34、の各遺跡では、県内
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
本遺跡と類似する「かわらけ」出土の近隣の遺跡には、弘前市
境関館
・浪岡町浪岡城本丸跡・蓬田村蓬田大館遺跡
資料編1(考古編)
([付図])
[付図]
境関館
遺構配置図 野脇遺跡遺構配置図 弘前市内源泉分布図 番号,弘前市大字船水字横船 城館跡 歴史 02101 藤代館 弘前市大字藤代一丁目 城館跡 歴史 02102
境関館
遺跡
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
576 第3節 中世・近世の遺跡 ………………………………… 588 1.
境関館
遺跡
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
独狐遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書九九) 一九八六年三月 (140)青森県教育委員会 『
境関館
遺跡発掘調査報告書
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
249 福田友之 「平内町横峰貝塚発見の遺物」(遺址5) 1985年 *250 青森県教育委員会 『
境関館
遺跡発掘調査報告書
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