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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (草創期の外国人教師たち)

草創期の外国人教師たち 東奥義塾には、明治六年の開校から同十三年までの約七年間に、以下に述べる五人の,外国人教師が在籍した。  ,旧藩主津軽承昭が開学資金として提供した五〇〇〇円の大半が外国人教師雇用に充てられていたことになり、当時,Armstrong & Son, 1886、八三頁)  草創期の東奥義塾生たちについて外国人,カールが七月末に弘前を去ったことで、ウォルフ以来続いた東奥義塾外国人教師招聘は途切れた。 / 草創期の外国人教師たち
通史編5(近・現代2) (洋風建築の黎明)

び雄藩の産業的建築物であり、いま一つは、安政六年(一八五九)の開港に伴う箱館、横浜、長崎、神戸などの外国人居留地,また、三百年の鎖国を解いて開港された町の外国人居留地では、列強各国の領事館や商館が建設され、住宅街や教会,これら建築の建設は、外国人施主の下で日本人の棟梁や大工・石工・左官の職人が当たったが、いち早く異国の先進構造技術
通史編2(近世1) (津軽人のみた開港場箱館)

外国人の風俗も、初めて目にする魯僊にとっては、興味深く、また奇異なものとして映ったようである。,異国との習俗の違いについても、外国人の葬儀の様子、握手の習慣、外国人の夫婦が腕を組んで市中を歩行するありさま
通史編4(近・現代1) (愛光幼稚園の設立)

愛光幼稚園の定員は六〇人、三年保育を行い、保育には外国人婦人宣教師が当たった。  
通史編5(近・現代2) (女子高等教育機関の整備)

これは外国人教師による実用英語の習得をねらいとするものであったが、二十二年には二ヵ年制の専攻科とし、他日
通史編3(近世2) (青森商社の終末と意義)

であったようで、手船で領外各地の産物集めに奔走(ほんそう)する一方、青森に出店したり、商社の公金を使って外国人
通史編4(近・現代1) (東奥義塾開学)

特にその教育を特徴づけたのは、開学当初から同校で教鞭をとった外国人教師たちであった。
通史編4(近・現代1) ([口絵])

東奥義塾と自由民権運動† 口絵3 東奥義塾校舎 口絵4 塾長本多庸一 口絵5 外国人教師
通史編2(近世1) (対外交易の実態)

三郎次が厳重注意を受けている(同前安政六年九月二十五日条)などの事例から、藩だけでなく、庶民レベルでも外国人
通史編4(近・現代1) (組織的活動-化育社)

旧弘前藩士の菊池や中畑清八郎等は、北海道開拓使の七重勧業試験場において、苗木生産及び果樹栽培などの技術を外国人
通史編4(近・現代1) (キリスト教)

のほかは、これといったものもなく、その藩主の援助金も一年のうちに使いきってしまうので、いったいいつまで外国人教師
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

一方で、外国人との商取引をめぐる混乱も発生し、藩役人の責任問題に発展した例もある。
通史編5(近・現代2) (棟梁・堀江佐吉)

わけても佐吉の心を騒がせたのは、外国人居留地の数々の洋風建築であった。
通史編3(近世2) (弘前の民衆)

当時、全国的に脱籍士族による外国人殺傷事件が続発しており、新政府も県や藩に管轄士族の管理を徹底させていたが
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

再興義塾はミッションであったから、日ごとの礼拝を行ったのは当然として、語学を重視しての外国人教師による
通史編1(古代・中世) (四 中世津軽の宗教世界の特色)

然ル故ニ京家ニテハ奥羽ノ人ヲハ真ノ蝦夷ト心得テ外国人ニ等キアツカイ也キ。
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