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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人 外崎嘉七(安政六-大正一三 一八五九-一九二四)は、安政六年、,あまりの熱心さに村の有力者も金銭的支援を申し出て、開校にこぎつけることができたという(「奮闘の人 外崎嘉七翁,写真172 外崎嘉七経営の「向陽園」 (明治40年代 旧中津軽郡清水村樹木)  嘉七は、後年、,写真173 外崎嘉七と丹精の国光樹 (明治38年)  青森県は、大正五年(一九一六)春、三浦道哉,外崎嘉七と島善鄰は、三十歳の年齢差があり、島は南部花巻の出身であったが、二人のりんご振興にかけた熱意には / 外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人
通史編4(近・現代1) (農業団体の発展)

明治期末から大正期にかけて、中津軽郡農会の活動に貢献した人物として、清水村の外崎嘉七、楠美冬次郎、工藤銀次郎,写真177 明治時代の林檎園巡覧会 (下から2列目の右から2人目が外崎嘉七、4列目4人目が楠美冬次郎
通史編4(近・現代1) (りんごの病虫害とその対策)

そこで、大正三年(一九一四)、当時、「りんごの神様」と尊称されていた外崎嘉七(とのさきかしち)の協力を
通史編4(近・現代1) ([付図])

48 福士幸次郎『東奥日報』紙上で地方主義提唱〈大正13年〉 49 りんごの神様・外崎嘉七没
通史編5(近・現代2) (りんご栽培の進展)

花腐病試験地の土地は外崎嘉七の向陽園内の一町歩が充てられ、庁舎建設費用五〇〇〇円は中津軽郡農会が募金して
通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

竹舘、清水は模範的産業組合と称されたが、いずれも相馬貞一(そうまていいち)、外崎嘉七(とのさきかしち)
通史編4(近・現代1) (津軽産業会の活動)

平川棟世 菊池三郎 山中卯太郎 阿保忠助 成田邦衞 佐藤英司 瀧川平十郎 木村一太郎 西舘森治 林春之進 外崎嘉七
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