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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

)を告げ、同年十月十日の布達第一四六号で大区小区制が成立した。,それは郡を大区に、戸籍区をそのまま小区に変えて、大区に区長を、小区に戸長・副戸長を置き、「大凡百戸に一人,現弘前市は、津軽郡第三大区と津軽郡第二大区一〇小区の一部で構成されている。,写真5 第三大区初代区長 大道寺繁禎 津軽郡第三大区 一小区 弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁,の第三大区一小区の町名には大きな変化が見みられる。 / 大区小区制の成立
通史編4(近・現代1) (最初の県会)

二月十日に公選された名望人県会議員は各大区から一人だが、現在の弘前地域(第三大区)で一番札は山田登、二番札,同じ第三大区のだれかと交代したのだろう。,アル者ヲ公撰スル方法ハ、区戸長ヲ除クノ外、管下一般ノ市民各々之ヲシテ代議人タラシメント欲スル者ヲ、各大区,他の大区の公選名望人は一番札か二番札かのうちどちらかが出席していた。
通史編4(近・現代1) (戸籍法と戸籍区)

・小区制が敷かれる ・県内を10大区、72小区に分ける ・弘前は第3大区となる ・1大区に区長 ,1小区に正副戸長を置く    9 (1876)  9 第3大区で最初の区会が開かれる,また、同年十月十日、大蔵省は布達一四六号で、府県の下に大区、その下に小区を置いて、大区に区長、小区に副区長,ただし、大区小区の規模や従来の町村との関係は「土地ノ便宜ニヨリ」として、細部は地方官の裁量に任せた。,かくて、大区小区制という、明治初期の旧体制打破を意図する政策が実施された。
通史編4(近・現代1) (郡区町村編制法への移行)

そして、大区小区制を廃して、郡、町村が行政単位として復活し、府県、町村に対しそれぞれ住民の参加する議会,写真6 中津軽郡初代郡長 笹森儀助  この郡区町村編制法によって、第三大区一小区から六小区は中津軽郡,、第二大区一小区から一〇小区及び五大区一小区は南津軽郡となった。
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

明治十年第十月十二日                            大道寺繁禎  第一、二、四、五大区並三大区各小区区務所宛,国立銀行創立願 私共、申合、明治九年八月中御頒布相成候国立銀行条例を遵奉し、青森県管下第三大区一小区陸奥国津軽郡弘前本町一番地, 横島彦八 印 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡徳田町九番    蒲田昌清 印 青森県士族,第三大区一小区陸奥国津軽郡相良町二十七番  松野幹  印 青森県士族 第三大区一小区陸奥国津軽郡若党町百一番,   芹川高正 印 青森県士族 第三大区二小区陸奥国津軽郡富田村三番   大道寺繁禎 印          
通史編4(近・現代1) (神官僧侶会議での県の方針の伝達)

神官僧侶会議での県の方針の伝達 明治六年(一八七三)五月に、県は青森蓮心寺に、官員をはじめ各大区の村吏,また、弘前を含む第三大区の証券印紙売捌人は次のように決定された。,このようにして、新しい大区小区制下の行政が出発した。
通史編4(近・現代1) (県立弘前医学校(県立青森医学校))

、県会での医学生教育の審議の中で、「弘前会社病院中へ医学局ヲ置カセ生徒ヲ教育セント要ス」として県内各大区,学生の募集は一大区ごとに三人、県内から二七人を公費支給とし、他に二三人は私費生とした。
通史編4(近・現代1) (鬼沢小学開校と「村落小学」)

」 明治九年六月七日、津軽郡(つがるごおり)鬼沢村に「鬼沢小学」が開校された(九年当時の行政区画は大区小区制,十一年十月大区小区制廃止、「郡制」施行により、津軽郡は東西南北中五郡となり、弘前を含む中津軽郡が誕生した
通史編4(近・現代1) (学区取締(とりしまり))

学区取締は区役所(注、大区小区制の役所)の吏員で、自宅で執務したが、明治八年から区役所に常勤するようになった
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

明治六年に大区小区制が実施され、弘前は第三大区に組み入れられたが、それ以前の行政は、県が中心になって行
通史編4(近・現代1) (弘前における国立銀行設立計画)

32,108,880円 前掲『第五十九銀行六十五年史』上  弘前においては、明治九年十二月に青森県令山田秀典から第三大区長大道寺繁禎,そこで大道寺区長、蒲田(かつぎた)副区長らは第三大区区務所へ弘前各町用係および総代を集め、銀行設立について
通史編5(近・現代2) (紅緑の少年時代)

明治七年、青森県第三大区一小区(現弘前市親方町)に父・弥六、母・支那の次男として生まれる。
通史編4(近・現代1) (開業時の状況)

いについてはこれまで三井銀行が青森県の為替方として独占していたが、第五十九国立銀行は開業前から県下各大区長
通史編4(近・現代1) (町村合併と弘前市制施行)

弘前市の町名八九は第三大区一小区と同一である。
通史編4(近・現代1) (地租改正の経過)

表7 地租改正による新旧反別および地租比較 大区 番号 本部 所在地 旧反別 改正 反別 反別比較
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

(80俵) M4.9授産開墾施行専務 北原将五郎(80俵) M4.10県11等出仕 M8.10第五大区長,60俵) M4.9県13等准格歩砲兵調方 芹川甚次郎(70俵) M4.11県12等出仕 M6年第四大区長
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

元家老の第三大区長大道寺繁禎も戸長も辞職を願い出た。
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

明治十年にこの土地を借りたのは、廃藩後の弘前発展のため蒲田昌清第三大区長のもと弘前全町惣代-町家は白崎源蔵
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