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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (津軽氏の鷹保護)

そもそも豊臣政権は御鷹と私鷹を区別しており、御鷹は秀吉の鷹であって私鷹は各大名領主が使用するものであった,したがって津軽の「御鷹」は、同領内で手厚く保護され、その上で献上道中を組んで日本海沿岸の大名領を経由して,なお江戸幕府は、豊臣政権が各大名領主に巣鷹保護を命じたのとは相違して、寛永三年(一六二六)に巣鷹の制を
通史編2(近世1) (三 鷹献上と鷹保護)

から将軍へ、また大名同士でも盛んに行われ、全幕藩領主を巻き込む形での鷹にかかわる儀礼の確立に伴って、大名領主,なかでも松前は、奥羽地方が後に各大名領での鷹の自給に汲々としていたのに対し、後背地の蝦夷地に広大な鷹の
通史編2(近世1) (二 浅利騒動への加担)

しかし、この浅利騒動は、単に一地方の大名領内の問題に終わらず、豊臣政権を構成する奉行や有力大名のほか、
通史編2(近世1) (大名の改易と幕領検地)

その反面、綱吉は就任当初から幕府の財政再建にも熱心であり、財政機構改革や新田開発や改易大名領を加えた幕領,このうち、幕領の増加と改易大名領の関連性をみると、綱吉政権当初から元禄五年(一六九二)までに改易された
通史編2(近世1) (近世大名と大名課役)

大名領主権は、幕府が課した「奉公」としての役奉仕を通じて形成されていったのである。
通史編2(近世1) (秀吉の東国への停戦令)

たさせようとしたようである(以上の記述は、粟野俊之「東国「惣無事」令の基礎過程―関連史料の再検討を中心として―」永原慶二編『大名領国
通史編2(近世1) (烏帽子山紛争)

烏帽子山紛争 大名領間の紛争で最も典型的なものが領境をめぐる紛争(境論)であった。,これは通常「論所(ろんしょ)」とよばれ、大名領主間の争いであるとともに、その境界上に田地・沼沢・河海などを
通史編2(近世1) (高照神社の造営と「名君」信政像の創出)

五代将軍徳川綱吉は諸大名に「仁政(じんせい)」を求め、大名領分への監察もその視点からなされることになった,整備・確立、新田開発などによる農業生産の伸張、大名課役の遂行などにかかわる幕府との関係など、この当時大名領主
通史編2(近世1) (中世の比内浅利氏)

浅利則頼(のりより)で、十狐(とっこ)城を築き、一族を比内地方に配置し勢力を拡大した(大島正隆「北奥大名領成立過程
通史編3(近世2) ((二)富籤興行)

各大名領でも寺社の助成を目的とする富籤が行われたが、特産品の入札・宿場入費の助成から、港・芝居小屋修復
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

津軽郡が含まれず、為信が津軽郡を安堵されていたからということにはなるが、津軽領と南部領という、近世の大名領
通史編2(近世1) (越後高田領検地の実施)

元禄期の幕領検地については、幕府の旧大名領に対する検地は打出部分に期待するところが大きかったとの指摘がある
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和五年(一六一九)七月二日、幕府、福島正則へ口上書を下し、津軽への国替を止め、酒井、牧野両大名領付近
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

……………………………… 中世法制史料集 佐藤雨山氏所蔵弘前藩記録 …………… 大島正隆氏論文「北奥大名領成立過程
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