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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(郡制の施行)
郡会は町村から一人と
大地主
(地価一万円以上の所有地ある者)で構成、
大地主
定数は郡会の三分の一だった。,今井一徹 船沢村 成谷亀之助 清水村 三浦大吉 新和村 野呂源太 藤代村 未詳
大地主
互選議員,工藤行幹代議士が議会で質問しているように施行の初めから問題点を含んでおり、結局明治三十二年(一八九九)、
大地主
制
通史編4(近・現代1)
(中津軽郡会)
郡会は三分の二が町村会議員による互選、三分の一が
大地主
からの互選となっていた。,清水村 三浦大吉 新和村 小山内小三郎 藤代村 不詳 石川村 成田多佐久(南津軽郡)
大地主
互選会当選者,郡制は、制定当初からプロイセン(ドイツ)の
大地主
議員の機能を模倣し、政治的意図の強い制度だった。
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
しかし、津軽地域においては、当時、「
大地主
」のメルクマールと言われた五〇町歩以上地主が多数いたわけではない,この時期の主な多額納税者と
大地主
は、松木彦右衛門(弘前市、四代目、実業家、貴族院議員)、宮本甚兵衛(弘前市,(弘前市浜ノ町、実業家)、桜庭秀輔(弘前市桶屋町、市会議員、実業家)らである(「青森県多額納税者及び
大地主
,」、資料近・現代1No.四二五、「五十町歩以上ノ
大地主
」、同前No.四二六)。,これら「
大地主
」の経歴からもわかるように大半が実業家として活躍した人々であり、いわゆる小作料収奪的「寄生地主
通史編2(近世1)
(農書の成立)
同書は元禄の飢饉の後に書かれたものであるが、宝暦までにはおよそ五〇年以上が経過しており、その間に
大地主
,目録を見る 精細画像で見る 中村喜時は庄屋役を勤め、水田約一〇〇〇役(約七〇ヘクタール)を持つ
大地主
通史編4(近・現代1)
(地主・小作関係)
特に、未開拓地の北海道では資本家的及び小作制
大地主
が土地を所有し、後者においては府県からの開拓農民が多数移住
通史編5(近・現代2)
(第五十九銀行の復活)
これまでの経営者は
大地主
や事業家がほとんどで、銀行経営の専門家といえず、また、常時銀行業務に就いているわけでもなかった
通史編4(近・現代1)
(中央における大同団結運動)
松方財政による大不況で、町でも村でも多くの人々の生活が破綻し、また、没落し、一方、商業・金融業に進出する
大地主
通史編4(近・現代1)
((四)津軽における社会主義勢力の伸長)
しかし、西郡車力村では、
大地主
で貴族院議員に当選したばかりの鳴海周次郎が、農民組合の候補者に敗れて次点落選
通史編4(近・現代1)
(第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併)
この合併の実現には、黒石銀行の頭取であるとともに第五十九銀行の株主である加藤宇兵衛(黒石地方の
大地主
通史編5(近・現代2)
(小作争議と地主制)
中津軽郡においては「地主」といっても「寄生地主」や五〇町歩以上の
大地主
は少なく、小作争議の多くは在村の
通史編4(近・現代1)
(第一回通常県会)
他地域では黒石に共進社が発足、のち益友会と改めたが、
大地主
の加藤宇兵衛や弘前藩士族竹内清明、黒石藩士族
資料編3(近世編2)
(【解説】)
よって史料の収録に際しては、虫食がなく原文が損なわれていないものや、土地取り上げを受けた地主でも
大地主
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