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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(西廻海運による大坂廻米)
西廻海運による
大坂廻米
西廻海運が実現すると、上方廻米に利用される廻船の多くが大坂での雇船となった。,たとえば、京都の井川善五郎は、
大坂廻米
が行われる寛文十二年(一六七二)以前から弘前藩とのつきあいがあり,(印牧前掲論文)、延宝七年(一六七九)には、
大坂廻米
全量に当たる二万七〇〇〇石を井川への借銀返済に充てている,弘前藩は、藩財政を支えるためには、北国諸藩のなかでも加賀藩に次ぎ秋田藩と並ぶほど、より多くの蔵米を
大坂廻米
/ 西廻海運による
大坂廻米
通史編2(近世1)
(上方廻米)
なお、同年以後も敦賀・大津への廻米は断続的に実施され、
大坂廻米
の補足的な役割を果たしていたという(印牧信明,「津軽藩における成立期の
大坂廻米
について」『交通史研究』四四)。,塩飽(しわく)・備前西大寺・唐津などの瀬戸内海および北九州関係に分けることができ、それぞれ敦賀廻米、
大坂廻米
通史編2(近世1)
(江戸市場への傾斜)
これを裏付けるように、藩は、文化二年(一八〇五)に
大坂廻米
三万五五五石余を江戸廻しにして、計六万九九一八石
通史編2(近世1)
(幕末期の蝦夷地交易)
この計画自体は津軽弘前藩側が米の安定供給に自信を持てなかったため実現しなかったが、江戸・
大坂廻米
を最優先
通史編2(近世1)
(幕末期の藩財政)
米方の支出のうち、家中への知行切米・扶持の合計は五万三〇三四石(歩引渡をしている)、江戸廻米は五万石、
大坂廻米
通史編2(近世1)
(銀遣いへの変更と商人の活用)
大坂廻米
が始まって以来、蔵元(くらもと)との関係ができ、領内の金銀を上方(かみがた)に送って銭と替え、
通史編2(近世1)
(信政晩年の藩政)
大坂廻米
40,000. 江戸扶持米 10,000.,. 8 御普請料
大坂廻米
40,000. 10月から現在まで 町米沖出の積もり
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