機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 27件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
白銀小学学区は、鷹匠町、江戸町(現中新町地区)、西
大工町
、駒越町、馬屋町、茂森町、片堀町(旧古堀町)、,茂森派立、新寺町、在府町、相良町、本町、元
大工町
、塩分町、元長町、森町、覚仙町、鍛冶町、新鍛冶町、南北川端町
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
本町 在府町 相良町 宮崎文蔵 元
大工町
森町 覚仙町, 若党町 小人町 春日町 馬喰町 亀甲町 生駒慶宮 鷹匠町 馬屋町 西
大工町
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
トス 学聯区名 学区名 校数 学区内町村名 学校名 等科 本町学区 一 ○本町、在府町、相良町、元
大工町
,若党町、小人町、春日町、馬喰町、○亀甲町 亀甲 中初 盈進 中初 下町学区 一 鷹匠町、馬屋町、西
大工町
通史編3(近世2)
((三)住居)
しげもりまち)・鞘師町(さやしまち)(後に上白銀町)・銀町(しろがねちょう)(後に下(しも)白銀町)・
大工町
,(だいくまち)(後に元(もと)
大工町
)・鍛冶町(かじまち)(後に本町(ほんちょう)・覚仙町(かくせんちょう
通史編3(近世2)
(勧進能)
勧進能 元禄十四年(一七〇一)四月十八日から七日間、
大工町
で勧進能が行われる予定であったが、十八日は
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
また、町方と思われる町に武士の居住がみられ、たとえば、土器(かわらけ)町に八四軒、西
大工町
に六軒、
大工町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
第三大区初代区長 大道寺繁禎 津軽郡第三大区 一小区 弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁 下白銀丁 元
大工町
,代官丁 和徳町 茶畑丁 茶畑新割丁 北横丁 紺屋丁 浜ノ町 五十石町 袋町 鷹匠町 馬屋町 新町 西
大工町
通史編4(近・現代1)
(教育とキリスト教の問題)
元
大工町
が手狭になったので、坂本町に新築移転したのは明治三十四年(一九〇一)二月である。
通史編3(近世2)
(本町の繁栄)
大火によって、本町一丁目~五丁目のほかに覚勝院町(かくしょういんちょう)(後に覚仙(かくせん)町)・
大工町
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
山辺稲荷并白狐寺門前 大矢場 貞昌寺元門前 在府町相良丁 本町 覚仙丁 森丁 塩分町 中白銀丁 古学校
大工町
, 岩川茂右衛門 同小六区 新町 同川端丁 馬屋丁 鷹匠町 同細小路 下山道丁 駒越町 平岡町 西
大工町
通史編4(近・現代1)
(弘前女学校の創設)
明治二十二年(一八八九)五月、弘前女学校が弘前市元
大工町
一番地に開校した。
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
鞘師町(三丁目・四丁目),黒石町坂下,五十石町後袋町 山伏覚勝院罷在候町(当時角仙町),川原町 西
大工町
,・本
大工町
・東
大工町
,東桶屋町・西桶屋町,鍛冶町 土手鍛冶町より猫右衛門町(元禄16年2月11日に猫右衛門町
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
第二は新派町(現平岡町)と派町(現西
大工町
)ができたこと。,駒越町や西
大工町
・平岡町などの城西地区の町割りが拡大した。
通史編3(近世2)
(火災)
さらに
大工町
(だいくまち)片側全部、覚勝院町(かくしょういんちょう)(覚仙町)四五軒を焼失。
通史編4(近・現代1)
(伊東重と養生哲学)
ジョン・イングから西洋のいろいろな学問の手ほどきを受けたばかりでなく、伊東の住まいは元長町で、元
大工町
通史編4(近・現代1)
(工業学校の創設と東奥義塾の廃校)
明治四十年(一九〇七)、県は、弘前市元
大工町
の津軽産業倶楽部(現東北電力弘前営業所敷地)を借り受け、県立工業講習所
通史編3(近世2)
(寛政期の城下)
このほか、亀甲町角に御蔵、足軽町和徳町口に桝形、南袋川岸町(現西
大工町
)、古堀町、茶畑町、川端町などが
通史編3(近世2)
(消防制度)
おけやまち)・銅屋町(どうやまち)・建詰町(けんづめちょう)・土場町(どばまち))、親方町(親方町・
大工町
通史編2(近世1)
(慶安二年の「弘前古御絵図」)
次に、職人集団であるが、職人町として、紺屋(こんや)町・鞘師(さやし)町・鍛冶町・
大工町
・銅屋(どうや
通史編4(近・現代1)
(組織的活動-化育社)
この間、明治二十一年(一八八八)、弘前市西
大工町
に集会場「弘前倶楽部」を建設し、同三十三年(一九〇〇)
通史編5(近・現代2)
(見直したい弘前市の記録)
土手町、鍛冶町をはじめ、代官町、桶屋町、百石町、親方町、紙漉町、紺屋町、若党町、五十石町、元
大工町
、元寺町
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の工業)
30 佐藤機業場 新町 同 40年2月 同 - - - 男 3 女 23 武田機業場 西
大工町
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
現上白銀町)、片原(かたはら)町(現下白銀町)、下片原町(現下白銀町東側堀端)、志(し)わく町、親方町、
大工町
通史編2(近世1)
(その他の諸政策)
その後寛政六年には三之丸・亀甲町・
大工町
にも籾蔵(もみぐら)が建てられ(同前寛政六年条)、同九年三月二十二日
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
大根山(塩分町・茂森町)・茶屋山(長町)・太神楽(鍛冶町)・道成寺(銅屋町)・素浜山(桶屋町)・神楽山(
大工町
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
新寺町・平岡町・西
大工町
・紺屋(こんや)町の内織屋掛・新(あら)(荒)町・富田町が潰(つぶ)れ地とされ
通史編2(近世1)
(青森町の成立と青森開港)
、下米(こめ)町、高町、最も南側の街路には、御百姓町、寺町、御百姓派町(おひゃくしょうはだちまち)、
大工町
/ 1ページ