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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(大津事件~ロシアへの恐怖~)
大津
事件~ロシアへの恐怖~ 明治二十四年(一八九一)五月、ウラジオストクにおけるシベリア鉄道起工式に,ところが五月十一日、滋賀県
大津
で警備の巡査が皇太子に斬(き)りつけるという事件が起こった。,
大津
事件である。県では見舞い電報を発し皇太子の治癒を祈った。,当時北の脅威としてロシアを恐れていた日本にとって、
大津
事件は朝野を震撼(かん)させる大事件だった。 /
大津
事件~ロシアへの恐怖~
通史編1(自然・原始)
(日本海沿岸海域に震源のある地震)
一九八三)五月二十六日の日本海中部地震は、「M七・七」の大地震で、このため秋田・青森の日本海西海岸に
大津
波,栄えた安東(あんどう)一族が衰退した最大の原因は、興国(こうこく)元年(一三四〇)の日本海地震に伴う
大津
波,寛保(かんぽう)元年(一七四一)に大島が鳴動して、大噴火の直後に渡島地方の西海岸に
大津
波が襲来、一四六七人
通史編4(近・現代1)
(校名改称と一校新設)
一番小学は本町一丁目角の
大津
屋の民家を校舎としていたが、七年二月には上白銀町一番地(現弘前市庁舎敷地)
通史編2(近世1)
(上方廻米)
なお、同年以後も敦賀・
大津
への廻米は断続的に実施され、大坂廻米の補足的な役割を果たしていたという(印牧信明,しかしながら、敦賀を廻着地とする上方廻米においては、国元から敦賀までの廻漕、敦賀の蔵宿、
大津
の蔵元と、
資料編1(古代・中世編)
(協力者及び協力機関一覧(敬称略))
鎌倉国宝館(神奈川県鎌倉市) 北野神社(京都市) 京徳寺(青森県弘前市) 滋賀県立琵琶湖文化館(滋賀県
大津
市
通史編3(近世2)
(先祖供養)
専修寺(現市内東和徳町)の享保二年(一七一七)餓死者供養碑には、「南無妙法蓮華経」の題目と、
大津
屋久兵衛
通史編2(近世1)
(近世初期海運)
出羽地方の諸藩と同様に、近世初期から弘前藩の御蔵米の払い方は、主として京都・
大津
で行われていたのであった
通史編3(近世2)
(伊勢参り)
ところが、正徳二年(一七一二)、
大津
屋清十郎からの母親の伊勢参りの願い出については、町奉行が許可を与えた
通史編4(近・現代1)
(盗伐問題と師団の設置)
留任運動の根拠は、直前の六月十五日に襲来した三陸
大津
波への対策、年々四〇〇人余の犯罪を生む官有林盗伐の
資料編1(古代・中世編)
([十二世紀])
●正治二年(一二〇〇)六月二十四日、
大津
神人の訴えにより、検非違使庁下部を夷島に流刑。
通史編2(近世1)
(慶安二年の「弘前古御絵図」)
5 3 1 1 近 畿 京屋 大坂屋 伊勢屋 山科屋 大和屋 境屋 長浜屋
大津
屋
通史編3(近世2)
((三)キリシタンの流罪とキリシタン改め)
京都から
大津
を経て、敦賀港から五月二十四日に乗船して、六月十七日に外浜に着いた。
通史編5(近・現代2)
(連続する災害と東北振興政策)
三沢・八戸方面は三陸
大津
波の被害もあった。
通史編3(近世2)
(拡大する風儀・治安の乱れ)
慶応三年(一八六七)六月には、本町
大津
屋九左衛門の店に大勢の踊り子が乱入して乱暴を働くという事件が起こったが
通史編1(古代・中世)
(阿倍比羅夫の登場)
の利権を失った大和政権が失地回復のために北方の軍事征服に向かったのだともされている(のちの天智天皇の
大津
遷都
通史編3(近世2)
(出開帳)
弘前では、一行二六人の賄いを町人
大津
屋九右衛門・山本三郎兵衛に命じ、給仕二〇人、掃除役一〇〇人、小遣四人
通史編2(近世1)
(江戸時代初期の大名課役)
この上洛の折、津軽家は近江国
大津
町年寄矢島藤五郎から銀子五〇貫を借用している。
通史編3(近世2)
(金木屋の生活)
大津
屋久左衛門の弟が病死したので、悔状・香典を差し上げる。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長八年(一六〇三)二月二十三日、津軽信建、山城平野社へ奉加料として、
大津
において米一〇俵を調進し、,●元和九年(一六二三)閏八月二十六日、津軽信枚、近江国
大津
町年寄矢島藤五郎から銀五十貫を借用する。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………………………… 吾妻鏡 144 ●正治二年(一二〇〇)六月二十四日、
大津
神人の訴えにより、検非違使庁下部
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