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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (礼服)

御小姓組頭・御中小姓頭のうち一人……御中小姓頭と御中小姓は武官で、あとは奥向の役職、当番の御目付……大目付,の指揮を受ける監察の官)、平服麻裃(掃除見分の用人(ようにん)・大目付(おおめつけ)……用人は家老の補佐役,大目付は諸役・諸士の監察と法規・典礼を担当する)  宝暦二年(一七五二)(藩主在府)――右とほとんど,享保二年(一七一七)――常服半袴(藩主の一族・家老・用人・大目付)、常服麻裃(城中の諸番人) 宝暦三年,文政十一年――熨斗目麻裃(家老・用人)常服麻裃(大目付)  藩主在国中の文政十一年より、在府中の前二者
通史編3(近世2) (勤務の状況)

御用座敷は上ノ間から家老、二ノ間は用人・大目付、三ノ間は三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)、四ノ間は,梅ノ間御次ノ間には大目付が午前十時から午後二時まで勤め、家老・用人が退出後、用事がなければ帰る。,さらに歩行(かち)(徒)目付・足軽目付(ともに用人や大目付・目付の指揮下にあり、藩士の行状を監察し、非違
通史編3(近世2) (鳥羽・伏見の戦い)

一月二日朝、「討薩表」を携えた幕府大目付滝川具挙(たきがわともたか)が先鋒となって北上した幕府軍は、伏見
通史編3(近世2) ((三)住居)

したところで、西から東へ上段・御用所上ノ間(家老〈大名の重臣で家務を統轄する者〉が詰める)、二ノ間(用人・大目付,…用人は家老の補佐役、大目付は監察を任務とし法規典礼を掌る)・三ノ間(三奉行…寺社奉行・町奉行・郡奉行
通史編2(近世1) (弘前藩庁日記の開始)

「国日記」一日分の記事内容は、初期のころを除いて、まずその月初めには、その月の月番である家老・用人・大目付,それから日々の記事は、まず、月日と天候が記されたあと、その日の家老・用人・大目付の登城の有無、次に祭祀
通史編2(近世1) (藩士対象の司法制度)

家老・用人・大目付・勘定奉行など上級藩士に対する取り調べの詳細は不明であるが、「国日記」によれば、預り,表58 申し渡し人と申し渡し場所 申し渡し人 申し渡し場所 ① 家老 家老宅 ② 大目付 評定所 ③
通史編3(近世2) (武士に不相応な行為と食料奪取)

、平生不覚悟、侍の仕方これ無きにつき」ということで、弘前城内三の丸にある評定所(ひょうじょうしょ)で大目付
通史編4(近・現代1) (最初の県会)

山田登は旧藩の勘定奉行、用人として功があり、山崎清良も旧藩大目付で戊辰の役で活躍、藩を勤王とした功があるが
通史編3(近世2) (日常勤務の服装)

「国日記」宝暦六年(一七五六)十一月十七日条に、御目付(おめつけ)(大目付の指揮を受ける監察の官)以上
通史編3(近世2) (学官の職掌)

寛政八年五月、同年六月二十三日、学官員の任命があり、総司津軽永孚を筆頭に、小司(大目付次順格)山崎図書
通史編2(近世1) (樋口善兵衛の報告書)

津軽領内で、凶作が本格的に意識されるようになるのは、八月七日、武田源左衛門(本締役〈出納総括責任者〉兼大目付
通史編3(近世2) (道路の整備)

された触は、道路の清掃と下水の手入れを前々から命じていたが、徹底されず、往来の者が難渋している、目付(大目付
通史編2(近世1) (裁判と判決)

評定所では大目付(おおめつけ)または目付が担当し、武士とともに斬(ざん)罪や追放が申し渡され、四奉行(
通史編2(近世1) (土着策実施への布石(Ⅱ期))

土着策実施への布石(Ⅱ期) 寛政二年(一七九〇)十月一日、土着策について再び大目付より法令が出された
通史編2(近世1) (津軽信英による後見政治と法令の整備)

両名は信義時代からの家老で、明暦三年八月五日付で幕府大目付北条氏長宛てに信政家督相続に際しての家老起請文
通史編2(近世1) (綱紀粛正・倹約奨励)

し(同前No.九〇二)、同年十二月十八日には主として家中の質素倹約・貸借の在り方・諸上納方についての大目付触
通史編3(近世2) (紺屋町末紙漉所)

元締兼大目付武田源左衛門(たけだげんざえもん)らによる藩の行財政改革の対象になったことを物語っている。
通史編2(近世1) (相馬大作事件)

なくして轅を用いたのは不束(ふつつか)であるとして信順は逼塞(ひっそく)を命ぜられ、これをとがめなかった大目付
通史編3(近世2) (藩営紙漉座と蘭医星弘道)

翌文久元年(一八六一)春、家老・用人・大目付が二度にわたって楮町の楮畑と、紙漉町の紙漉座とを検分に訪れた
通史編3(近世2) (生活の困窮)

天明三年十一月の大目付触(おおめつけふれ)に、藩士がこの春に冬用の衣類を質入れしたが、まだそれを取り出
通史編2(近世1) (下級藩士への開発奨励(I期))

下級藩士への開発奨励(I期) 天明四年(一七八四)十二月二十八日、最初の土着令が大目付触れで出された
通史編2(近世1) (領内海防と台場の構築)

この台場設置は、先に松前に出張し、その後領内沿岸を巡視した幕府大目付中川忠英(なかがわただてる)の示唆
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

各宗派とも僧録寺院の後継住職は、家老宅において寺社奉行・大目付が出座して家老より申し渡された(「国日記
通史編3(近世2) (出発)

玄関より出る時は、玄関下座敷西の方に家老、同東の方に城代、その後に用人が控え、さらに白砂東の方に大目付
通史編3(近世2) (城下での生活)

それによれば、監物死亡により午前九時すぎご機嫌うかがいに登城せよとの大目付よりの指図である。,十三日、午前十時に城より廻状が来て、急煩(きゅうわずらい)の際の届け出は長柄(ながえ)奉行以上は大目付
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

午前十一時すぎ山吹ノ間へ出座し、多膳と会い藩政について用談・決裁――山本四郎左衛門の酒田繰替米の件、大目付両人,この後、正午に款冬ノ間へ出座し、多膳と会い藩政について用談・決裁――大目付(おおめつけ)・山方取締役(,月番の家老・用人・大目付が座敷の掃除・飾りつけを点検し、「よし」との報告あり。
通史編3(近世2) (第一次藩政改革と特色)

監察方は旧大目付(おおめつけ)・目付に該当する大監察・監察からなり、下部に巡察方・隠密(おんみつ)方があり
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