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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (商業弘前倶楽部の活動)

同倶楽部は一〇七人の会員により発足し、弘前の有力財界人や政治家の大道寺繁禎、菊池九郎ら二一人を名誉会員
通史編4(近・現代1) (士族授産事業の成立と展開)

笹森と、同じく旧弘前藩士族の大道寺繁禎は、起業のための補助金を申請した。,農牧社の組織は、社長大道寺繁禎、副社長笹森儀助、牧佃掛中畑清八郎、会計掛芹川高正、監督長尾介一郎、菊池九郎
通史編4(近・現代1) (保守派との合同団結)

まず、保守派の代表で県会議長だった大道寺繁禎に合同団結を申し入れた。,集まった顔ぶれは、県会議長大道寺繁禎、郡長は東郡館山漸之進、中郡笹森儀助、北郡工藤行幹(ゆきもと)、下北郡一町田大江
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

れも差支無之候也   明治十年第十月十二日                            大道寺繁禎,また、発起人として改めて大道寺繁禎、蒲田昌清、松野幹、芹川高正、横島彦八の五名を選出した。,なお、官吏は発起人になる資格がないため、大道寺繁禎は県御用掛を辞職することになった(青森銀行行史編纂室,第三大区一小区陸奥国津軽郡若党町百一番   芹川高正 印 青森県士族 第三大区二小区陸奥国津軽郡富田村三番   大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (藩祖三百年祭)

三百年祭準備委員会を設けて大道寺繁禎を会長に、以下各役員に士族の歴々を選んだが、この会を中心に商家の商業的企画,これは、弘前教育会の要請により大道寺繁禎が作詞し、弘前出身の東京音楽学校教授楠美恩三郎が作曲したものである
通史編3(近世2) (英学寮)

しかし同年七月十四日に廃藩置県が断行されるに及んで、同月二十七日に英学寮は閉鎖され、その学生は旧家老の大道寺繁禎
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

禄高・役料等) 家 老 西館融(800石) 山中泰靖(500石外300石) 杉山龍江(1000石) 大道寺繁禎,) 執 政 西館融(800俵外100俵) 山中泰靖(500俵外200俵) 杉山龍江(1000俵) 大道寺繁禎,俵) そ の 他 織田虎五郎(会計司・100俵外30俵) 対馬幸吉(会計司・100俵外70俵) 大道寺繁禎,俵外400俵) 山中泰靖(400俵外400俵) 権 大 参 事 杉山龍江(400俵外250俵) 大道寺繁禎,M21年没 権 大 参 事 杉山龍江(350俵) M5.7県権典事 M10年後各地郡長歴任 大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (勧業諸会の展開)

商業弘前倶楽部は、武田清七、竹内半左衛門ほか二九人が議員となり、一〇七人の会員で構成され、他に大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (弘前における国立銀行設立計画)

前掲『第五十九銀行六十五年史』上  弘前においては、明治九年十二月に青森県令山田秀典から第三大区長大道寺繁禎,弘前各町用係および総代を集め、銀行設立について協議したが、賛同者が三百余名にもなったため、翌十年三月に大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (第一回通常県会)

中津軽郡からは大道寺繁禎、蒲田昌清、鳴海謙六という旧藩時代の要職の人物が選ばれた。,そして、議長に家老だった大道寺繁禎、副議長に勘定奉行だった蒲田昌清、幹事になった鳴海謙六は鰺ヶ沢代官で
通史編4(近・現代1) (廃藩置県)

          山中逸郎泰靖(やすのぶ)   権(ごん)大参事 杉山龍江           大道寺繁禎
通史編3(近世2) ((一)概要)

しもさわやすみ)・小山内清俊(おさないきよとし)・斎藤敏雄(さいとうとしお)・外崎正風(とのさきしょうふう)・大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (鍋島知事の対応)

また、保守派の大道寺繁禎を南津軽郡長に任命して進歩派弾圧の口火を切った。
通史編4(近・現代1) (電灯業の発展)

発起人は松木彦右衛門、宮本甚兵衛、菊池定次郎、中田角七、大道寺繁禎ほか合計三〇人で、弘前市の有力経済人
通史編4(近・現代1) (営業税雑種税賦課法の審議)

こうして、大道寺繁禎や寺井純司ら、青森県政界の有力者が顔をそろえた弘前総町聯合会は、重要事項を審議、決定
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

写真5 第三大区初代区長 大道寺繁禎 津軽郡第三大区 一小区 弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁
通史編4(近・現代1) (明治二十年(一八八七)の予算審議)

大道寺繁禎が議長となり、質疑を行っており、理事者として堀見景正、小山内彦一、菊池楯衛、相馬保之進らが出席
通史編4(近・現代1) ([付図])

13年〉 7 弘前事件~本多庸一の弁明書〈明治15年〉 8 士族授産の農牧社設立~大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (弘前の紛紜の始まり)

十一月十四日、合同問題の要(かなめ)にいた中津軽郡長笹森儀助の辞任という事態が起き、さらに翌十五日県会議長大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (町の様子)

其他旧お家柄で一門で当時は五十九頭取であった大道寺繁禎氏の富田の邸にも御出になった。  
通史編3(近世2) (弘前の民衆)

それでも明治十年代の政界を主導していったのは大道寺繁禎(しげよし)・本多庸一(よういち)・菊池九郎・笹森儀助
通史編4(近・現代1) (市制の施行)

市会議員の選挙及び共有財産処分協議会並びに市会開設までの諸準備は、中津軽郡長大道寺繁禎においてこれを処理
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

なお、最後の弘前総町聯合会の議長は大道寺繁禎中津軽郡長である。
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

事務所に懇願して、常盤野の農場で牧夫として働かせてもらうようになり、その熱心な働きぶりに対して同社長大道寺繁禎
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

元家老の第三大区長大道寺繁禎も戸長も辞職を願い出た。
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