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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(海防報告書にみる天保期の海防体制)
浦 役 人 横 目 付 大 筒 役 同 下 役 足 軽 遠 見 番 人
大間越
,1 1 12
大間越
大筒台場 3 2 月屋村遠見番所,
大間越
・深浦・鰺ヶ沢・十三・今別(現東津軽郡今別町)・蟹田・青森・野内(現青森市野内)といった領内の主要地,20 15
大間越
台場 1 2 深 浦 10 10 深浦台場 1 2 金井ヶ,大筒台場は、
大間越
・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・小泊七ツ石崎・龍浜崎・袰月浦鷹野崎・蟹田・青森の各所
通史編2(近世1)
(本村と新田)
元和七年(一六二一)十月二日に二代藩主信枚が北村久左衛門へ、松神(まつがみ)と
大間越
(おおまごし)の派立,「松神」は現西津軽郡岩崎村松神であり、「
大間越
」は現西津軽郡岩崎村
大間越
である。,「津軽知行高之帳」では、松神村も
大間越
村も鼻和郡の新田として村名がみえ、高はそれぞれ三・一六石と一〇・
通史編2(近世1)
(領内海防と台場の構築)
さらに、翌年にかけて
大間越
(おおまごし)浦(現西津軽郡岩崎村
大間越
)・深浦(現同郡深浦町深浦)・金井ヶ,鰺ケ沢 1 3 1 金ケ沢 3 2 深 浦 1 3
大間越
通史編2(近世1)
(民兵の登場)
木造新田)・赤石組の各代官、および九浦のうち碇ヶ関を除く八浦(野内・青森・蟹田・今別・十三・鰺ヶ沢・深浦・
大間越
,
大間越
では十五歳から六十歳までの男子を総動員しても七〇人余だったため、万一の場合、赤石組の民兵が派遣されることとなった
通史編3(近世2)
(飢餓の状況)
が続出したので、それを阻止するために、野内(のない)(現青森市野内)・碇ヶ関(現南津軽郡碇ヶ関村)・
大間越
通史編2(近世1)
(異国船打払令の発令と津軽弘前藩)
への対応を示した国日記記事 目録を見る 精細画像で見る まず、海岸の防備は、この時期までに
大間越
,また高札を
大間越
から野内までの八浦、その外に金井ヶ沢・小泊・平舘・油川に立てることとし、作事奉行に命じて
通史編3(近世2)
(時期・日数・通路)
次に通路であるが、領内をみると、江戸時代初期には弘前を出発し、西海岸の鰺ヶ沢を経て
大間越
(おおまごし)
通史編5(近・現代2)
(青秋林道建設計画)
計画路線では鰺ヶ沢町の奥赤石川林道と結ばれ、一方、岩崎村でも
大間越
の津梅川林道の延長によって青鹿林道(
通史編3(近世2)
(子供を池に投げ殺害)
わってから一〇里四方追放・大場(おおば)(鰺ヶ沢・深浦・十三(とさ)・青森・蟹田・今別(いまべつ)・碇ヶ関・
大間越
通史編2(近世1)
(安政期の蝦夷地警備と交通問題)
さらに、交通量の激増は碇ヶ関(いかりがせき)・
大間越
(おおまごし)などの関所の機能を麻痺させていった。,表63は元治元年(一八六四)の九浦(くうら)(碇ヶ関・野内・
大間越
の三関と青森・鰺ヶ沢など六つの主要港町,0.6 0.6 5 碇ヶ関 802 408 252 3 1.2 394 242 0 0 0.6 6
大間越
通史編3(近世2)
(民衆の動揺)
碇ヶ関や
大間越
(おおまごし)には盛岡藩兵に追い立てられた秋田藩士らが妻子を連れて大挙逃れて来たが、その
通史編3(近世2)
(キリシタン改め)
この年、野内・
大間越
・碇ヶ関の三関所へもキリシタン改めを命じた。
通史編3(近世2)
(施行小屋の設置と犯罪防止)
御蔵および城下・農村・九浦(深浦・鰺ヶ沢・十三(とさ)・青森・蟹田・今別(いまべつ)の六湊と碇ヶ関・
大間越
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
として記載されているのは、表現に若干違いはあるものの、①秋田領境之明神堂(さかいのみょうじんどう)~
大間越
通史編2(近世1)
(参勤交代路と街道の状況)
書き出しが秋田分領として「八森~の志(し)ろ(現秋田県八森町~同能代市)」となっており、津軽領内では
大間越
通史編2(近世1)
(相馬大作事件)
寧親は、大館を通過せず、
大間越
(おおまごし)(現西津軽郡岩崎村)経由で帰国したのである(資料近世2No
通史編2(近世1)
(十三小廻しの成立と町の盛衰)
これと、同じような内容を持つ「覚」が、三月二十一日付で、深浦・金井ヶ沢・
大間越
の沖横目所(『御定書』三九
通史編2(近世1)
(流民の発生と施行小屋の設置)
また、
大間越
の関所からも数千人が逃亡していった。
通史編3(近世2)
(青森商社と帰田法)
36 長九郎 1町5反 染屋 南津軽郡浪岡町樽沢 37 嘉兵衛 7町歩余 舟手問屋 西津軽郡岩崎村
大間越
通史編2(近世1)
(他領者の入領規制と流通統制)
厳しくすると間道(かんどう)から出国をする輩が出る可能性があるので、あらかじめ印紙を野内(のない)・
大間越
通史編2(近世1)
(糧米確保)
深浦 57.5(24.0) 50.2(21.6) 62.5(26.0) 57.1(23.6)
大間越
通史編2(近世1)
(元禄の大飢饉と家臣召し放ち)
また蟹田・野内・今別・十三・
大間越
の町奉行配下の同心が新たに命じられていることから(同前元禄九年二月十日条
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
海砲台は
大間越
・金井沢(金井ヶ沢)・小泊・竜飛・三厩・平舘・大浜(油川)・青森・野内の九ヵ所にあると述
通史編2(近世1)
(刑罰体系)
の主要他は、九浦(くうら)すなわち鰺ヶ沢・深浦・十三(とさ)・青森・蟹田・今別(いまべつ)・碇ヶ関・
大間越
通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
目山林から小泊山林まで二二山)、外浜通り(鶴ヶ坂山林から宇鉄山林まで四二山)、西浜通り(中村山林から
大間越
山林
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●元和七年(一六二一)十月二日、津軽信枚、領内松神と
大間越
の派立を命じる。,●寛永十年(一六三三)十月三日、津軽信吉、舟橋長真父子を伴ない、
大間越
より初めて入部する。
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