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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (朱子学批判)

乳井によれば、儒教とは元来天下国家を統治するための学であって、個々人の道徳的な心の在り方や、善し悪しにかかわる,『大学』の八条目にあるように、朱子学の最終課題は「治国・平天下」にあった。,しかし朱子学では個々人の道徳的自己完成(「修身」)が実現すれば自ずと国家の統治(「治国・平天下」)も実現,すると考えられ、「修身」が「治国・平天下」に先立つ実践課題とされる。
資料編2(近世編1) (『大学文盲解』二巻)

とりわけ興味深いのは、「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」にわたる「大学八条目」の連関性,つまり乳井は、朱子学者が目の前の政治的課題(治国・平天下)をおざなりにして個々人の「心」を練る(誠意・
通史編2(近世1) (秀吉による朝鮮出兵の背景)

秀吉は、天下統一後の家臣団の激しい領土拡大欲求をそらし、また彼ら家臣相互の内部対立・紛争を避けるために,、「唐国」征服を早くから考えていたのである(朝尾直弘『大系日本の歴史 八 天下一統』一九八八年 小学館刊,秀吉は、惣無事令により奥羽の地に至るまで天下統一を実現させ、さらに中国侵略のために朝鮮と琉球をその先導役
通史編2(近世1) (伏見木幡山城の築城)

しかし、伏見木幡山城の築城がすでに始められていた慶長二年からは「伏見御作事為御用」「公儀御板」「天下御作事之杉板,」という表現に切り替えられ、さらに慶長三年にはこれらの表現のほかに「天下様御板」という表現がなされてくる,という性格が完全に払拭(ふっしょく)され、木幡山城の段階には、明確に秀吉政権(=「公儀(こうぎ)」「天下
通史編5(近・現代2) (少年小説の金字塔)

貧しい少年が刻苦勉励して、天下の秀才を集めた第一高等学校へ入学するまでの物語の展開に、少年たちは興奮し
通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍源頼義)

さて頼義が任地に着くやいなや、にわかに天下に大赦があり、頼良も先の反乱の罪を許されてしまった。
通史編1(古代・中世) (桓武の登場)

その最晩年に、「天下徳政相論」と呼ばれた論争で、「造作と軍事」こそが最大の政治問題となった桓武天皇の治世
通史編4(近・現代1) (後藤象二郎の動向)

全天下を挙げて「後藤出でずんば蒼生(人民)を奈何せん」と叫んだのである。
通史編4(近・現代1) (歌舞伎・新派劇)

峰吉殺しとは、東京浜町の待合の女将お梅が、大川端で箱屋の峰吉を惨殺した事件で、当時天下に喧伝されていたが
通史編5(近・現代2) (少年団の結成)

しかし、大日本青少年団は政府による天下り的な結成で、自治的な活動は許されておらず、政府の御用団体にすぎなかった
資料編3(近世編2) (二 思想)

「先生の道は天下を安ずるの道なり。天下を安んずるの道は六経にあり。六経に載る処を採るに礼楽、是なり。,「先王の道は天下を安んするの道なり」とは、言うまでもなく、徂徠『弁道』『弁名』からの引用である。
通史編1(古代・中世) (秋田の唐糸伝説)

『三七日山阿弥陀堂略縁起』(写真108)では、時頼が「諸国執行をして天下の善悪」をみるために廻国に出たあと
通史編1(古代・中世) (津軽独立に向けて)

しかしながら、豊臣政権の「惣無事」の論理による「天下統一」といった大きな波にいやおうなしにのみ込まれていくことになった
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

信直は、名護屋に着陣した早々、秀吉がいかに全国の大名らを完全に圧倒した天下人(てんかびと)であるかをまざまざとみせつけられたのであり,この書状で信直は、豊臣政権を「御頼布天下(おたのもしきてんか)」であると述べ、豊臣政権にひたすら依存する,さらに、一方では、不安定で内部崩壊しかねない軍勢を、天下人の軍勢として結束させる視覚的な役割も期待されたのかもしれない,それは、天下人秀吉の圧倒的な権力を知る場であり、戦国期から敵対していた隣国の大名との和睦の場であり、西国大名,それほどまでに朝鮮出兵とは、奥羽の諸大名を秀吉の天下に捕らえ込んでいく大きな出来事であった。
通史編5(近・現代2) (撃剣家・市川宇門)

数々の全国大会において、勇猛な気と剛剣を天下に知らしめ、さらに国内はもとより遠く旧満州までその名を轟かせた
通史編5(近・現代2) (弘前観光協会の設立)

天下の七名城といわれた弘前城をはじめ、城内には松の大木と膨大な数の桜がある。
通史編4(近・現代1) (明治九年の巡幸)

肥後勤王党保守派の流れをくむ敬神党が起こした士族反乱)があり、続く翌十年には西南戦争が開始されるなど、天下
通史編5(近・現代2) (昭和三十五年の弘南バス争議)

一方、当時常務だった、創業者菊池武憲の六男武正は「当時の組合は労働者が天下をとるというイデオロギーの闘
通史編4(近・現代1) (呑気(のんき)倶楽部)

大正五年の『弘前新聞』は、「わが弘前市は花に乏しからず、殊に鷹揚園に至りては実に天下の誇りと云うも憚らず
通史編2(近世1) (伏見指月城の普請)

である秀次との間で分化し始めた権力を再び自らの手に掌握するためでもあった(朝尾直弘『大系日本の歴史 天下一統
通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

に対する私恨はこの段階でも消えうせていたわけではなかったのであるが、私戦という行為はすでに豊臣秀吉の天下
通史編1(古代・中世) (文室綿麻呂の登場)

按察使の前任者は天下徳政相論の一方の立役者であった非戦派の藤原緒嗣である。
通史編4(近・現代1) (騒動の発端)

りたるものに有之べく、是即ち県知事は人民を平生愚人視居るに相違なかるべし」「殊に事件の一旦官報に登るや、天下
通史編2(近世1) (浅利頼平の怪死)

実季は従来から佐々正孝や長束正家ら集権派の奉行と深く結合していたが、秀吉死後、伏見城に移り「天下様」と
通史編3(近世2) (赤穂四十七士批判)

乳井は赤穂四十七士に対しても容赦なく筆誅(ひっちゅう)を加え、赤穂四十七士達を「武道ノ正義」に反した「天下
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)

関ヶ原の戦いと奥羽の情勢 豊臣政権は、その天下統一が短期間になされたことにより、豊臣家内部の対立をはじめ,原の戦いは、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原(現岐阜県不破郡関ヶ原町)で局地的に戦われた、いわゆる「天下分
通史編1(古代・中世) (阿弖流為の投降)

翌年、病に伏せた桓武天皇の病床で繰り広げられた、菅野真道(すがののまみち)と藤原緒嗣(おつぐ)との「天下徳政相論
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の啓蒙活動)

われました」と回想し、アメリカのカレッジに倣って文学会を作り、隔週土曜日の午後弁論会を開き、学生は治国平天下
通史編4(近・現代1) (東洋宣教会ホーリネス教会)

救、聖書の全き潔め、神癒、主イエス千年期前再臨の所謂四重の福音を標榜して専ら伝道事業に従事せし事は満天下
通史編2(近世1) (「用」の重視)

彼にとって学問とは天下国家に実益をもたらすものでなければならなかった。
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

津軽人士に膾炙(かいしゃ)している詩編「名山名士を出だす 此語久しく相伝う 試みに問う 巌城の下 誰人か天下
通史編2(近世1) (「今日唯今」の重視)

彼ノ宋儒ノ所謂ル身ヲ修ムルヲ以テ本トスレバ、其身ノ修マル極ヲ待テ、而シテ天下治平ノ事ニカカルベシト云…
通史編1(古代・中世) (治承・寿永内乱下の秀衡)

右大臣藤原(九条)兼実が、その日記『玉葉』に「天下の耻(はじ)、何事かこれに如(し)かんや。
通史編2(近世1) (浅利頼平の比内帰還)

片山弥伝(かたやまやでん)に対し、太閤検地については秀吉が派遣した検地奉行に全面的に委任すること、また、「天下
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

③神社は天下静謐、藩主家の安全、領民の無事を祈ること。
通史編4(近・現代1) (東奥共同会の設立)

今にして心ある者が立ち上がらないと「永く貧陋卑屈(ひんろうひくつ)の郷となり天下に奴隷視せられんのみ」
通史編1(古代・中世) (中世の境界認識)

西ニハ九国二島、東ニハアクロツカル夷ガ島マデ打靡シテ、威勢一天下ニ蒙ラシメ、栄耀四海ノ内ニ施シ玉フ。
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

秀吉の天下統一とは、かつて「津軽・宇曽利(うそり)・外浜迄」と表現され、辺境と認識されていた津軽の地まで
通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

一部改編されながらほぼ踏襲されており、東北の大名にとってまさにこの名護屋参陣は、秀吉が奥羽・「日の本」まで天下統一
通史編4(近・現代1) (弘前市経済改善への提言)

当弘前町追々衰微ニ赴キ、目今ニ至、米価及諸物価沸騰ニテ、市街人民ニ於テ必至困却セリ、然リト雖トモ物価ニ昂低ハ天下自然
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正九年(一五八一)二月二十八日、織田信長、京都に御馬揃を行い、「奥州津軽日本」までの天下の名馬を集
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

歴名土代 327 ●天正九年(一五八一)二月二十八日、織田信長、京都に御馬揃を行い、「奥州津軽日本」までの天下
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