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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(奥大道と文物の流通)
奥大道
と文物の流通 北奥諸郡の建置、さまざまな物品の流通で注目されるのが、陸奥国を縦貫する
奥大道
(奥州街道,
奥大道
沿いにはいくつか類似の地名が現存しているが、大鰐のそれは日本最北の宿川原である。,れたように、高伯寺は『津軽一統志』に、後白河院が六六国に建立した国分寺の一つであるとされており(写真78)、
奥大道
,平泉を中心に、この
奥大道
を東西南北に多くの交易品が行き交(か)ったのである。 ,さて平泉藤原氏は、
奥大道
や北上川水運などを整備することによって、北方世界からの物産の調達、南からの文物 /
奥大道
と文物の流通
通史編1(古代・中世)
(陸の道・海の道)
前述した「かわらけ」の波及と軌を同じくしており、その出土地点は「
奥大道
」のルートと近いことがわかる。,この
奥大道
は『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも記されたように、外浜から白河関までという奥州を縦断する幹線道路,さらにこの
奥大道
の成立とともに、日本海を北上する海の道もまた出土遺物の面から確認できる。
資料編1(古代・中世編)
(五 乳井地区の城館群と宗教的領域)
図51 乳井地区の中世城館と寺社・集落の分布 興味深いのは、近世の「乳井通り」=中世の
奥大道
が,とほぼ同地点より撮影) 『青森県南津軽郡石川町郷土史』より転載 旧乳井通り(中世の
奥大道
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の防塁)
阿津賀志山の防塁 これに対して平泉藤原氏側は、
奥大道
の交通の要衝、陸奥国伊達郡阿津賀志山(あつかしやま,ここを守る大将軍は泰衡の異母兄西木戸太郎国衡で、国衡はこの地を通る当時の幹線道路「
奥大道
」をふさぐ形で
通史編2(近世1)
(外浜の掌握と開発)
油川は、交通の大動脈である
奥大道
の終点であり、また、夷島(えぞがしま)への窓口となるような湊町でもあり
通史編1(古代・中世)
(堀越城・石川城を中心とした城館群)
石川城跡が築かれた場所は
奥大道
の街道沿いであり、なおかつ鼻和郡の中心部に入る入口に築かれているということに,図74 石川城を中心とした城館群配置状況 まず第一は「
奥大道
」に沿った状態で城館群が構築されていったということである
資料編1(古代・中世編)
(一 乳井茶臼館の立地と現状)
しかも、館の直下を中世の「
奥大道
」=近世の「乳井通り」が通過する要衝の地であった。
通史編1(古代・中世)
(津軽平賀郡への入部)
また秋田の比内から津軽に入る
奥大道
のルート上にあり、津軽平野の咽喉(のど)を押さえる交通の要衝でもあった
通史編1(古代・中世)
(湊の始まり)
時はあたかも奥州藤原氏の滅亡から、鎌倉幕府による全国的な開発が進展していた時期であり、
奥大道
を中心とする
通史編1(古代・中世)
(泰衡の死)
平泉館に火を掛けると、さらに夷狄嶋(えぞがしま)(北海道)を目指して
奥大道
を北に逃走した。
資料編1(古代・中世編)
(第二節 五輪塔)
平泉まで来た五輪塔の文化は、
奥大道
を北上し外ノ浜へ、また下之切道を通り十三湊まで続いていたと考えることが
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の合戦)
ここもまた
奥大道
が福島盆地に入ろうとする交通の要衝である。
通史編1(古代・中世)
(文献史料から見た戦国動乱の激化)
そのことによって津軽半島中央部を掌握し、天正十三年(一五八五)三月に、中世における
奥大道
(おくだいどう
通史編1(古代・中世)
(中世の境界認識)
平泉政権時代に切り拓かれたと想定される
奥大道
の終着地でもある。
通史編1(古代・中世)
(北奥における建郡)
摂関家出身の陸奥守兼鎮守府将軍の下で平泉藤原氏によって実施されたからであり、奥羽を縦貫する陸上ルート「
奥大道
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
構造を見てきたが、館の性格を考える場合、最も問題となるのは、曲輪Ⅰの西側直下を「乳井通り」旧道(中世の
奥大道
通史編1(古代・中世)
(「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)
外浜の中心地大浜は、古代末から鎌倉期にかけて
奥大道
と夷島渡航との結節点として成立したが、この地が発展したのは
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
この一五世紀の末葉の油川は、「日ノ本将軍」安藤氏の従前の拠点十三湊に代わって、
奥大道
の終着点であると同時
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