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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(奥州合戦の勃発)
奥州合戦
の勃発 しかし義経問題は、もともと奥州討伐のための口実にすぎない。 /
奥州合戦
の勃発
通史編1(古代・中世)
(津軽惣地頭宇佐美実政)
の要衝でもある津軽地方の鼻和・平賀・田舎三郡(津軽地方の中世の郡制については、次項で詳述する)には、
奥州合戦
,
奥州合戦
直後の東北地方では、こうした複数の郡・荘・保を統合した大ブロックを管轄する惣地頭が各地で任命されていった,そもそも頼朝は、こうした奥羽の支配形態を全国に推し進めるために
奥州合戦
を起こしたのだとさえいわれている
通史編1(古代・中世)
(工藤氏の出自)
あるいは
奥州合戦
の功によって陸奥国岩手郡を与えられた工藤行光の系統とも推測されている。
通史編1(古代・中世)
(奥州惣奉行葛西清重)
奥州惣奉行葛西清重
奥州合戦
勝利の直後から、頼朝は積極的に東北地方の治政に着手した。,ついで
奥州合戦
に戦功のあった御家人らに論功行賞がなされた。
通史編1(古代・中世)
(泰衡の死)
図37
奥州合戦
時の鎌倉勢の進路 二十五日には、泰衡のもとから頼朝宛の命乞いの書状が頼朝宿所に,ここに
奥州合戦
は終り、平泉藤原氏は滅亡したのである。
通史編1(古代・中世)
(多宇末井の梯)
ここに
奥州合戦
の余燼は完全に収まることとなった。
通史編1(古代・中世)
(田村麻呂と頼朝)
田村麻呂と頼朝 のちにも触れるが、文治五年(一一八九)九月、
奥州合戦
に勝利した頼朝が、平泉から鎌倉へ
通史編1(古代・中世)
(津軽平賀郡への入部)
本節二でみたように、
奥州合戦
ののちに、津軽に入った御家人宇佐美(大見)平次実政が、その拠点を津軽平賀郡
通史編2(近世1)
(中世の比内浅利氏)
本貫(ほんかん)の地は甲斐国浅利郷であるが、文治五年(一一八九)の
奥州合戦
に頼朝につき従い参戦した恩賞
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の合戦)
図36
奥州合戦
要図(菊池利雄原図:1979より、一部省略変更)(児玉幸多:1968より) こうして
通史編1(古代・中世)
(新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)
206 第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽 ……………………… 213 一 文治五年
奥州合戦
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