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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (「津軽一統志」以降の修史事業)

しかし、津軽家が奥州藤原氏に連なることを主張すれば、奥州藤原氏と安倍氏との血縁関係が存在する以上、安日
通史編1(古代・中世) (四 中世前期の交易)

四 中世前期の交易 平泉で栄えた奥州藤原氏の二代基衡(もとひら)は、同地の毛越(もうつう)寺建立にあたって
通史編1(古代・中世) (四耳壺の出土)

奥州藤原氏の経済力の豊かさを示す事例であるとともに、その使用目的が気にかかるところである。  ,浪岡町源常平) 5 珠洲四耳壺(中崎館) 6 珠洲四耳壺(田舎館村) 7 珠洲経容器(鯵ヶ沢町)  奥州藤原氏
資料編1(考古編) ((2)北方文化との交易・交流)

12世紀においては、北方との交易や交流が奥州藤原氏の管理下で活発に行われていたものと想定されるが、北方系文物
資料編1(考古編) ((4)12世紀代)

この時期は、奥州藤原氏の隆盛期に当たる。
通史編1(古代・中世) (安倍氏の柵)

図29 安倍・清原・奥州藤原氏略系図(誉田慶信作図)  ちなみに安倍頼良のもう一人の娘婿であった
資料編1(考古編) ((1)東北地方南部以南との交易・交流)

12世紀は、奥州藤原氏が、平泉を拠点として東北地方のほぼ全域を支配した時期でもある。,浪岡城内館遺跡(浪岡町)や境関館遺跡(弘前市)、あるいは内真部遺跡(青森市)・蓬田大館遺跡(蓬田村)なども奥州藤原氏
資料編1(考古編) (4.中崎館遺跡)

本館跡は、12世紀後半に主体的に機能しており、この時期は、奥州藤原氏(3代秀衡の時代)にとって、それまでの,本遺跡での「かわらけ」を含む多くの遺物は、奥州藤原氏の政庁跡とされる柳之御所跡のそれと極めて類似した組,奥州藤原氏との直接的な関係の下に築かれた施設の可能性が高い。
通史編1(古代・中世) (湊の始まり)

時はあたかも奥州藤原氏の滅亡から、鎌倉幕府による全国的な開発が進展していた時期であり、奥大道を中心とする
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏初代清衡は、白河関から外浜に至る二十日余の道程一町ごとに笠卒塔婆をたて、
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

また、奥州藤原氏との関連が推測される京都系のかわらけが、岩木川水系の要所で出土しており、十三湊が岩木川水系
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

②水田の開発がもっとも盛んだった時代が奥州藤原氏の時代と考えられること。
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

中心に大規模調査が行われたが、中でも製鉄関連遺跡の鰺ヶ沢町杢沢遺跡*318(昭和63年・1988)、奥州藤原氏期
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

………  170    一 延久蝦夷合戦 ………………………………………………  170    二 奥州藤原氏
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

明年者、所レ相二当于義顕并泰衡一族滅亡年之支千一也  この一文が端的に物語るように、奥州藤原氏の平泉中尊寺
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

高橋潤 『尾上町原遺跡発掘調査報告』尾上町教育委員会 1990年 *324 三浦圭介 「考古学的に見た奥州藤原氏
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