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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (一里塚)

一里塚 「正保国絵図」の中で、一里塚の印が記載されている街道は、大道筋の西浜街道・羽州街道・奥州街道,しかし、盛岡藩の場合は同年二月に奥州街道の分について一里塚築造に着手したと思われ(「篤焉家訓(とくえんかくん
通史編2(近世1) (陸上交通網の整備)

①は当時の参勤交代路である西浜街道(鰺ヶ沢街道)と、羽州街道の弘前~油川間と、奥州街道の油川~狩場沢間,鰺ヶ沢~小泊間は十三街道、油川~蓬田~三厩間は蝦夷地へ渡る奥州街道の延長部(松前街道)として考えられるので
通史編4(近・現代1) (明治十四年の巡幸)

東北巡幸は、前回対象から外れた秋田、山形を主として計画されたものであったが、直接日本海側へは向かわず、再び奥州街道
通史編2(近世1) (隠津出・抜け米の取り締まり)

特に、黒石領との境界に当たる浅瀬石(あせいし)、廻米の積み出し湊である青森へ通じる鶴ヶ坂・柳久保(奥州街道
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

奥大道と文物の流通 北奥諸郡の建置、さまざまな物品の流通で注目されるのが、陸奥国を縦貫する奥大道(奥州街道
通史編1(古代・中世) (堀越城と城下町)

街道は「羽州街道」と呼ばれるもので、県内では碇ヶ関-堀越-弘前-藤崎-浪岡-新城(しんじょう)から奥州街道
通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

とあだなされるようになり、文政九年には家老高倉盛隆(もりたか)(盛正(もりまさ))が諫言(かんげん)のため奥州街道桑折
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