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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (一 九戸一揆と動員大名)

一 九戸一揆と動員大名 天正十八年(一五九〇)七月からの奥羽日の本仕置(おううひのもとしおき)が終了,し、その仕置軍が帰還した直後の同年十月、奥羽の地においては、豊臣政権の徹底した検地・刀狩り・城破(しろわ,この奥羽の一揆に連動するかたちで九戸(くのへ)一揆も起こることになる。
通史編2(近世1) (津軽氏の鷹保護)

氏郷は、奥羽地方の大名たちに関東・奥惣無事令の執行者として臨んでいたことを想起すれば、太閤鷹の保護と献上,九州と同様、奥羽日の本仕置によって、豊臣政権による奥羽地方の支配統制の確立と、津軽地方における名鷹の独占
通史編2(近世1) (秀吉による朝鮮出兵の背景)

秀吉は、惣無事令により奥羽の地に至るまで天下統一を実現させ、さらに中国侵略のために朝鮮と琉球をその先導役,さらに、右の朱印状では、前年の天正十八年七月の仕置以後の新たな身分変更を厳禁しており、秀吉は奥羽・日の,本仕置によって奥州・「日の本」に至る全国土を支配下に置いた時点で、すべての身分の固定化を図り、明征服のための
通史編2(近世1) (人質徴収)

したがって、当仕置は奥羽仕置ではなく奥羽日の本仕置と呼ぶのが妥当であろう。
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

伏見滞在と派閥抗争 奥羽の大名は、天正十八年以来、検地、刀狩り、城破(しろわ)り、太閤蔵入地・「御鷹場,秀吉政権はすでに妻子の上洛を強制し、天正十八年八月には、奥羽の有力大名である伊達政宗、最上義光、南部信直,為信は、もとは南部氏の被官であり、戦国末期に独立化を進め、天正十八年七月の奥羽・日の本仕置により南部氏,北奥羽の大名らは、秀吉の朱印状によって「奥羽・日の本」と一括して把握されながら、取次を媒介としながらそれぞれまったく,しかし、この伏見での「日本之つき合」の中で北奥羽の大名らは保身を図ることはできなかった。
資料編2(近世編1) (【解説】)

そもそも津軽領の検地は、天正十八年(一五九〇)の奥羽日の本仕置(ひのもとしおき)において太閤検地が実施,右に見られた華々しい領内開発の一方で、十七世紀後半から十八世紀に入ると、北奥羽地方は度重なる凶作や飢饉
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

…  2   二 異民族との接触 ………………………………………………  10 第二節 天正十八年の奥羽日,の本仕置と北奥 ………………………  15   一 検地・人質徴収・城破り・刀狩り ………………………,……………  80   二 浅利騒動への加担 ……………………………………………  92   三 北奥羽
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