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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(奥羽列藩同盟の成立)
奥羽列藩同盟
の成立 さて、白石同盟が成立した後、続いて閏四月二十九日に場所を仙台に移して、列藩会議が,白石同盟が結成された際の条約書に修正が加えられ、五月三日、あらためて各藩代表による条約書への調印がなされ、
奥羽列藩同盟
,盟約書は、奥羽列藩会議が仙台において、鎮撫総督府に内容を告げて盟約をすると前文で述べてあるが、これは、
奥羽列藩同盟
,討庄の先導役を総督府に辞退するとともに、中心となった中老吉田大八を切腹させるという大きな犠牲を払って、
奥羽列藩同盟
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奥羽列藩同盟
の成立
通史編3(近世2)
(旧幕府軍の軌跡)
このとき榎本武揚らは、蝦夷地開拓と
奥羽列藩同盟
への援助、この二つを目的として脱走したことが、勝海舟を通,そして目的の一つであった
奥羽列藩同盟
への援助はほとんど実行できなかったため、彼らの焦点は蝦夷地開拓に絞
通史編3(近世2)
(鎮撫総督軍の領内通行問題)
鎮撫総督軍の領内通行問題
奥羽列藩同盟
参加に続いて問題となったのが、奥羽鎮撫副総督沢為量(さわためかず,仙台藩使者水野邦助が弘前に到着し、五月三日の
奥羽列藩同盟
の成立を伝えたのであった。,沢副総督一行のうち、特に薩長両藩の兵に領内を通行させることは、
奥羽列藩同盟
における衆議に反することにもなるので,つまり、
奥羽列藩同盟
の締結とその盟約内容は弘前藩にとっても、他藩にとっても看過(かんか)できない大きな
通史編3(近世2)
(藩論の紛糾)
藩論の紛糾 さて、この
奥羽列藩同盟
参加、鎮撫総督軍の領内通行問題、そして、秋田藩境封鎖に至る過程の中,すなわち、奥羽鎮撫総督の指揮下に入り、官軍と行動をともにするか、東北諸藩と足並みをそろえて、
奥羽列藩同盟
,前者を強く主張するのが、実際に出兵をして戦線近くにいた大隊長山崎所左衛門らであり、一方後者は、
奥羽列藩同盟
通史編3(近世2)
(近隣諸藩の動向)
はじめ、盛岡藩は、四月に出された会津・庄内征討応援命令には従う姿勢を示したものの、
奥羽列藩同盟
に加わり,よって、
奥羽列藩同盟
には参加したものの、諸藩が同盟の内容に従って討庄兵を解兵する中、八戸藩は五月五日になってようやく
通史編3(近世2)
(軍制への戸惑いと浸透)
まず、四月になると
奥羽列藩同盟
形成の気運が高まり、弘前藩もその世論を無視できなくなってきたこと、および,藩首脳部が
奥羽列藩同盟
参加に傾くのに対して、山崎所左衛門や副官白取数馬(しらとりかずま)ら番方上層部が
通史編3(近世2)
(討庄応援部隊の解兵)
しかし、同月のうちに、弘前藩においても奥羽諸藩と情報の交換を繰り返し、
奥羽列藩同盟
の動きに合わせて、弘前藩
通史編3(近世2)
((一)東北諸藩と弘前藩)
その間、弘前藩が、戊辰戦争の勃発から
奥羽列藩同盟
結成に至る過程の中で、仙台藩や秋田藩などの周囲の動向にどのように
通史編3(近世2)
(軍事情勢の膠着)
奥羽列藩同盟
への参加の是非をめぐる藩内の対立についてはすでに前節で述べたが、五月十一日に秋田藩に身を寄
通史編3(近世2)
(政争の激化と第三次改革)
反対派が挙げる項目とは、首脳部が一時
奥羽列藩同盟
に参加しようとしたことの罪がいまだ不問であること、人材登用
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
奥羽列藩同盟
形成を強く主張していた仙台藩や米沢藩、朝敵とされた会津藩や鶴岡藩等は周辺の勤皇諸藩に進攻を
通史編3(近世2)
(藩政後期)
明治二年(一八六九)、
奥羽列藩同盟
の攻撃に対し社家隊は深浦方面、修験隊は赤石方面へ出兵したが、同三年に
通史編3(近世2)
(第二次藩政改革)
すでに前項で述べたように、この対立は安政年間からの政権闘争に根ざしていたが、戊辰戦争時でも
奥羽列藩同盟
資料編3(近世編2)
(【解説】)
以後、七月の藩論統一まで弘前藩は
奥羽列藩同盟
への帰属をめぐる賛否、庄内藩征討応援命令への対応、奥羽鎮撫総督府
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