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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (伏見築城と奥羽大名)

伏見築城と奥羽大名 豊臣秀吉は、文禄二年(一五九三)九月二十三日、奥羽の大名らが朝鮮半島に渡海することなく,伏見城の普請は、関東や奥羽大名に対し、伏見城下への参勤と、伏見城普請への動員という二つの条件を大名に突 / 伏見築城と奥羽大名
通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

奥羽大名の名護屋参陣 天正十五年(一五八七)五月、九州平定を終えた秀吉は、対馬の領主宗義調(そうよししげ,(詳細は、長谷川成一「奥羽大名の肥前名護屋在陣に関する新史料について―文禄二年五月「誓紙一巻」の紹介と / 奥羽大名の名護屋参陣
通史編2(近世1) (知行安堵)

奥羽大名の朝鮮出兵の際の軍役は、およそ二〇〇石につき一人(渡海人数はその半分の四〇〇石につき一人)であった,表1 北奥羽大名の領知高(万石以上) 史   料   名 南部氏 津軽氏 秋田氏 小野寺氏 戸沢氏
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

本堂忠親、蒲生氏郷に属して大崎義隆、大谷吉隆の一手として由利五人衆といった、伊達氏と津軽氏を除いた大部分の奥羽大名,この牧使城の攻囲に加わるはずだった奥羽大名と、慶長五・六年の上杉包囲網に動員された諸大名は当主の交代などの
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

これら奥羽大名の警衛は、蝦夷地に定住する者が増え、兵員・物資等を運搬する「大艦」ができるまでのものとされた,箱館奉行、そしてその案を認めた幕府も、蝦夷地の大半を幕領化、従来警衛の任に当たってきた津軽・南部内家を含む奥羽大名
通史編2(近世1) (湊合戦と惣無事令違反)

諸大名をその権力体系の中に組み込むことを意図して、鷹の献上を自らが求めたという(長谷川成一「鷹・鷹献上と奥羽大名小論
通史編2(近世1) (関東・奥惣無事令)

次に、このころの北奥羽大名の様子についてみてゆくことにしよう。
通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

ましたながもり)、木村弥一右衛門尉は木村吉清(きむらよしきよ)であり、いずれも豊臣政権の奉行で、この時期に奥羽大名
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

天正十三年九月の「唐国まで」の構想をいよいよ具体化するという意志を表明しようとするために、名護屋に参陣した奥羽大名勢
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十九年(一六一四)十月十六日、将軍徳川秀忠、津軽信枚を含む奥羽大名を江戸へ参集させ、速かに江戸を,●慶長十九年(一六一四)十月十六日、将軍徳川秀忠、津軽信枚を含む奥羽大名へ軍法を発令する。
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