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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

閏四月、奥羽鎮撫総督府(おううちんぶそうとくふ)の命により鶴岡(庄内)藩討伐応援として秋田方面に総勢二,九月二十三日の野辺地戦争は、官軍に頑強な抵抗を続ける盛岡藩を牽制(けんせい)する目的から、奥羽鎮撫総督府付軍監,奥羽鎮撫総督府は東北戦争の終結を宣言し、数度にわたって弘前藩に対して軍事行動の停止を命令したが、それに,均等な距離を保とうとの基本姿勢が打ち出されており、戦費負担も後日、酒田参謀局(現山形県酒田市に置かれた奥羽鎮撫総督府
通史編3(近世2) (東北戊辰戦争の終結)

これを受けた奥羽鎮撫総督府は、これを受領し、同時に止戦・解兵命令を出した(資料近世2No.五五一)。
通史編3(近世2) (軍制への戸惑いと浸透)

たとえば、弘前藩は明治元年四月十六日に奥羽鎮撫総督府より庄内討伐援兵命令を指示され、同二十一日に足軽頭松野栄蔵,御馬廻組頭山本三郎左衛門が予定されていたが、彼の言説は過激で、「御馬廻組頭山本三郎左衛門脱藩、三位様(奥羽鎮撫総督府沢為量
通史編3(近世2) ((一)東北諸藩と弘前藩)

奥羽鎮撫総督府については、さらにその後、参謀には薩摩藩士の大山格之助(おおやまかくのすけ)、長州藩士世良修蔵
通史編3(近世2) (弘前藩の出兵)

なお、奥羽鎮撫総督府は、出兵命令に加え、弘前藩領内に入り込んだ仙台兵の討ち取りを厳命し、弘前藩の態度について
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

しかし、同年八月に弘前藩を頼って奥羽鎮撫総督府参謀醍醐忠敬(だいごただゆき)が来弘し、最勝院(さいしょういん
通史編3(近世2) (軍事情勢の膠着)

彼は二月に総督九条道孝(みちたか)・参謀醍醐忠敬(だいごただゆき)らと奥羽鎮撫総督府に任命され、三月に
通史編3(近世2) (藩論の統一)

そして、七月十七日に奥羽鎮撫総督府より再び庄内藩討伐応援命令が出ると、これまでの態度を挽回するように秋田藩
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

述べるように、藩論の統一をめぐって激論が戦わされた後、七月上旬にようやく勤皇に政治的立場が確認され、奥羽鎮撫総督府
通史編3(近世2) (庄内征討命令をめぐって)

また翌日には、奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵が、強硬な態度で事に当たり、奥羽諸藩を敵視したために、仙台藩等
通史編3(近世2) (醍醐忠敬の弘前転陣)

秋田藩はいち早く勤皇を表明し、奥羽鎮撫総督府を迎え入れたが、盛岡藩は弘前藩と同様に同盟に参加し、藩の行
通史編3(近世2) (藩論の紛糾)

なお、奥羽鎮撫総督府は、五月二十九日、奥羽越列藩同盟に加わる諸藩に向けて、同盟離脱を促す令書を出した(
資料編3(近世編2) (【解説】)

以後、七月の藩論統一まで弘前藩は奥羽列藩同盟への帰属をめぐる賛否、庄内藩征討応援命令への対応、奥羽鎮撫総督府,奥羽鎮撫総督府は弘前藩に盛岡藩征討を命じ、このために引き起こされた戦闘が九月二十三日の野辺地(のへじ)
通史編3(近世2) (鎮撫総督軍の領内通行問題)

事実、既に閏四月二十七日には、奥羽鎮撫総督府のうち九条道孝(くじょうみちたか)総督と醍醐忠敬(だいごただゆき
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

一方、東北戦争の集結で奥羽鎮撫総督府の任を終えた九条道孝ら一行は、同月十八日に東京(七月十七日に改称)
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