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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (英学寮)

英学寮 慶応三年(一八六七)十月十五日、徳川慶喜は大政を奉還し、十二月九日に王政復古が宣言され、新政府,りかえる必要に迫られていた当局は、明治二年(一八六九)七月二十八日、津軽廷尉(ていい)宅を改造して「英学寮,しかし、皇漢学者と洋学者とは肌合いが合わず、学舎を同じくすることを好まず、結局のところ明治四年正月に英学寮,しかし同年七月十四日に廃藩置県が断行されるに及んで、同月二十七日に英学寮は閉鎖され、その学生は旧家老の / 英学寮
通史編3(近世2) (学びの光景)

正午になるといったん帰宅するなり、学寮に戻って食事をとるなりして、午後二時に再び学校に登り、二時間を素読,学寮は当時「学校御長屋」と呼ばれ、裏門側の西に位置し、各室八畳でその数二〇余り、各室に七、八人を収容した,一、毎朝六ツ時前に起床、洗顔し頭髪を梳(くしけず)り、学寮を掃除し、それから学堂に出て業に励むべきこと,一、学寮にあっても常に袴を着用のこと。
通史編3(近世2) (大学の前触れ)

(12)在宅の次、三男は学寮ができるまで、通学可能の者のみ入学を許可する (「封内事実秘苑」)。,また、藩は当時、藩士の農村土着政策をとっていた経緯から、寄宿施設としての学寮を一層充実させてゆく必要に
通史編3(近世2) (学校造営)

翌々年の寛政八年の四月には学舎の棟上式も終わり、五月には学寮もあらかた出来上がった。
通史編3(近世2) (野辺地戦争の動機)

ちなみに、中牟田倉之助は、海軍伝習所で学んだ後、佐賀藩海軍学寮の教官を務めた人物である。  
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