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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (学校給食とPTA)

学校給食とPTA 戦後、弘前市で学校給食が実施されたのは昭和二十二年一月からで、一大、二大、和徳、時敏,昭和二十五年で打ち切られたが、市民は市とその経費の一部を出し合い、青森市や八戸市が廃止するなか、その後も学校給食,しかし、二十八年二月の市議会で、食糧事情の変化と逼迫する市の財政を理由として、学校給食の意義に疑問が投,弘前市連PTAは、児童の健康教育の立場から学校給食の教育的意義を貫くため存続の意向を示し、給食委員会や,学校給食は、その後法律ができて制度化され、日本全土に広がっていくが、弘前市の学校給食に対するPTAの尽力 / 学校給食とPTA
通史編5(近・現代2) (学校給食の開始)

学校給食の開始 二十二年(一九四七)一月二十九日、市内各国民学校に学校給食が開始された。,市内各小学校とも学校給食施設の完備には、ほとんど関係PTAの援助によるところが大きかった。  ,なおララ物資による学校給食の際は給食費は無料であったが、給食費を徴収するようになったのは同物資の放出が,学校給食の普及と実施は、全国的にみても弘前は優れているといわれたが、これは一般家庭が給食を歓迎し、惜しみない / 学校給食の開始
通史編5(近・現代2) (学校給食中央共同調理場の設置)

学校給食中央共同調理場の設置 昭和四十三年(一九六八)八月三十一日、弘前市教育委員会は全市小学校三〇,校の完全給食実施と給食合理化を図り、三億円を投じて、市内石渡の旧藤代中学校跡地に学校給食中央共同調理場,給食センターは四十三年九月一日から学校給食を配給したが、一日一万食を調理する能力を持ち、当時東北随一の,さらに、小学校現場教員を学校給食の雑務から解放できることなどが挙げられる。  ,写真195 学校給食中央共同調理場と運搬車 / 学校給食中央共同調理場の設置
通史編5(近・現代2) (現職教員の市議当選)

議員としての工藤は六・二制の徹底や学校給食の完全実施などについて熱弁をふるい、市議会に学校現場の意向を
通史編5(近・現代2) (疲弊する農村)

写真87 欠食児童救済のための学校給食(和徳小、昭和9年)
通史編5(近・現代2) ([付図])

~凱旋の第八師団を歓迎する弘前市民〈昭和6年〉 7 和徳小学校における欠食児童救済のための学校給食
通史編5(近・現代2) (弘前市教育委員会の発足)

のもとで、学都弘前の建設、小学校教室の増設と学区の再編成、新制中学校の整備、市立高校二校の県立移管、学校給食
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